そういうお前はどうなんだ。

居酒屋で酒を飲みながら、昼に見た展覧会の絵をけちょんけちょんに、けなすことがある。
言葉づらでは、結構過激なことを口にしているのだけど、実は同時に、心の中ではこう唱えているのです。

 

「そういうお前はどうなんだ」

 

人への悪口なんてものは、たいてい、自分にもあてはまるようなものばかりです。
だからこそ、僕はいつも、過激なことを散々口にしてしまった後、6秒後にこう唱えるのです。

 

「そういうお前はどうなんだ」

 

人に言う前に、そもそもお前こそしっかりできているのか、と自らに問いかけたい。


今日、アトリエで大作を制作をしていたとき、返ってきました。
これまで僕が他人に言ってきた、けちょんけちょんの過激な陰口が、全て僕に返ってきました。

「全然面白くない」

「浅い」

「見るにも値しない」

でも、怒ることはありません。
ただ「ああ、返ってきたか」と思いました。
別に僕に悪口をいいたいわけではなく、すべては悪意もない事実でした。
他人に言った言葉はいずれ僕にも帰って来るであろうことは知っていました。
だからこそ、唱え続け、覚悟していたのです。「そういうお前はどうなんだ」と。

自分の仕事を、ふだんのふるまいを、他人に注意されたとき、頭に血を登らせて口応えする人がいます。
別に糾弾するつもりはなくて、ただ「おかしいのでは?」という忠告です。
言葉の選び方に差異はあるかもしれないけれど、伝えたい内容は同じです。「おかしいです。直すべき」です。
でも、それを認めたくなくて、彼らは怒ります。口応えします。
きっと、それらの言葉は「返ってきたのだ」と思うのです。
これまで彼らが他人に対して言い続けた言葉たちが形を変えて、そのまま自分に「返ってきたのだ」と思うのです。
それを怒ってはいけない。受け入れないといけない。
それを受け入れてはじめてプラスマイナスゼロになるのだから。

プラス過ぎても、マイナス過ぎてもいけない。ゼロでないといけない。
だからいつも心の中で唱えるのです。「そういうお前はどうなんだ」と。

だれかにものを申す時、申してしまったとき、心の中で唱えてみませんか。

「そういうお前はどうなんだ」と。□