ほめられたい。

 

ほめられたい。

 

子供じみたことを書いてしまうが、改めて、ほめられたい。

心のそこから、ほめられたい。

ほめられたい。と口にしたら、誰かが誉めてくれるだろう。

でもそれは、心から誉めてくれたわけではない。

落ち込んでいる僕に対して、同情してほめてくれているだけだ。

子供の頃は、ほめてもらったりしていたのだろうか。でも、学生時代を経て、仕事をはじめて今に至るまで、知りうる限りの記憶をたどってみても、ほめられたことは、ほとんど記憶にない。

あるのはむしろ、ミスを攻められたり、叱られたり、折檻を受けた記憶だけだ。

叱られて、ほめられて、また叱られて、ほめられる。

一歩進んで一歩下がる。そんな感じだったら、人生プラスマイナスゼロで、これほどまでに、落ち込んだり、ほめられたい。なんて思うことはなかっただろう。

ただ、叱られて、叱られて、叱られている。それだけである。

 気持ちは、もはや地獄の一丁目まで落ち込んでしまった。

だけど、これは地の底ではない。

さらに深く深く、まだまだまだまだ落ちていくような感じがする。

僕も、なにかひとつくらいは、いいことをしているのだろうと信じたい。

でも、それを誰かに、ありがとう。とか、助かったよ。とか言ってもらったことはない。ただひたすら糾弾され、たたかれて終わる。

獅子は我が子を千尋の谷に突き落とすという。それは、谷から這い上がり、強く成長していくための我が子への愛なのだという。

そういうものなのだろうか。

言いたいだけ言うけど、そういうお前はどうなんだ。お前はミスはしないのか。お前は神か。

指摘するのは簡単だ。だけど、受け止める人間は何十倍もの痛みをうける。

彼らは逆の立場になったことはないのか。

彼らがこの痛みを知っていたら、きっとそんな言い方はできない。

ほめなくてもいい。

もはやそれも望まない。

ただ許してくれるだけでいい。

しょうがないよね。

ミスはするよね。

私もミスはする。

お互い様。

だから許すよ。

人は、それくらいの思いやりをもって、お互い声をかけられないものか。□