★「学ぶ立場」で臨む。

 

ふと思ったけど、言葉にも著作権て、あるのだろうか。

 

誰かに何かを話すとき。

どこかからの受け売りを、偉そうに披露する輩に、見苦しさを感じる。

それは、誰かがやった仕事を、自分がやりました。というのに似ている。

言葉に著作権があれば、それは、著作権違反だということになる。

 

自分自身が考えあげたことを除けば、人が口にする蘊蓄やらは、ほとんどすべてがどこかから仕入れてきた情報である。

 

人が、突然新しいキーワードやフレーズを使って話し始めたとき「どっかの本や誰かの人から仕入れたな」と感じるのだけど、それを自分が見つけたかのように話す姿が、えらそうである。

クラフトビールを飲んだ時、突然「クラフトビールとは」を語り始める輩に、「そんな話は聞きたくない」と抵抗したい気持ちになる。話すことなんてただ「うまいですね!」だけでいいのに。

 

人はいつも、学ぶ存在であり、右から仕入れた情報を、左に流しているだけだ。

 

蘊蓄を押し付けてくる存在は、自分の頭の中に情報を集約させて、いつでもそれを引き出して見せることで、優秀な人間であるという肩書を手に入れ、他人との差を見せつけ、他人を見下ろせるポジションを真っ先に取ろうとしてくる。

そういうスタイルは昭和のサラリーマンに多いのかもしれない。

でも今はインターネットの時代であり、蘊蓄を披露して他人と差をつけようとするやり方なんてのは時代錯誤になりつつある。それを今なお勝利の方程式のようにどや顔をみせつけてくるスタイルは、もう卒業しなくてはいけない。

 

「〇〇さんがやってくれたんだけど、・・・」

「〇〇さんが教えてくれたんだけど、・・・」

「〇〇という本に書いてあったのだけど、・・・」

「ちょっとまえに勉強しまして、・・・」

.....など、あくまでも、自分が学ぶ立場で、情報源を明示しながら語れるとしたら、それは意外と気持ちの良いものになるかもしれない。

 

ONE PIECE】 支配なんかしねェよ。この海で一番自由な奴が海賊王だ!!!(ルフィ) | 本好き精神科医の死生学日記 ~ 言葉の力と生きる意味

 

別に海賊王にもならなくていいけど、支配はしなくていい。□