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昔、じぶんが若い人だったときには、
いまよりももっと知らないことが多くて、
他の人とじぶんを比べるような機会も少なくて、
「ただの思い込み」で生きていられたような気がする。
「食っていければ、とりあえずなんでもいい」と、
どうやら本気で思っていたんじゃないかなぁ。
いまの若い人たちは、とにかく「探せば情報がある」ので、
現時点のじぶんの小ささが、じぶんに知れてしまう。
そういう厳しさがあるんじゃないかしらん。
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糸井さんの8/28の言葉。まさにその通りである。
自分には、今SNSとかで飛んでくる個々の情報が、目障りで仕方がない。
自分がなにかをやったという達成感すらも、
他人のSNSやらYoutubeが上書きをして洗い去ってしまう。
洗い去らない純粋な情報共有もあるが、それ以上に不純なものが多すぎて、
探し出すだけでもぼろぼろになってしまう。
だから一方的に発信はするけど、受信はしないと決めている。
若い人達はそれが当たり前なんだろうけど、今自分が若い人間だったら、
「思い込み」もできず、逃げるように生きるしかなかったもしれない。
現代の苦しみの根源は、ここにあるのではないか。
いきすぎた科学・技術は、便利どころか、人間の心を不便にしてる。□