年賀状について

 

年賀状はいらない。というけど、本当にいらないのだろうか。

 

1年ぶりの通信だけど、一方通行であり、

挨拶と一言くらいで紙面が埋まってしまうという、小さな小さな窓。

ほとんど情報はない。そこから見えた小さな景色以外は、受け側が想像する。

だけど、遠い人との通信はそれくらいがいい。

そんなごく小さな通信だからこそ、僕らは「思い込み」で生きていられた。

 

SNSでいつでも通信できるようになったから、年賀状はいらない。

というのは、

情報の多さや速さの切り口で、置き換えるということだろうけど、

そういうもんじゃないんだよな。と思う。

 

年賀状は「お互いの距離と時間を遠くに置くための通信手段」なんだ。

すなわち、わざわざ「情報の鎖国」を選んでしているのである。

速さや情報量で置き換えられるものではない。

むしろ、情報が無いことが価値だったんだよ。

 

遠い人が何をしてるかは、1年に1つくらい見えているくらいがちょうどいいと思うのだ。それがまたいつか会う時の楽しみにもなるから。

 

年賀状は、続いていってほしい、文化だと思うのです。□