婦人画報

 

幼いころ母が入院したことがあった。

 

鮨屋を切り盛りしていた父が、母が不在の間、調理に加え、給仕や僕らの食事まで一人でこなさなくてはいけなくなり、いわゆる「クレイマークレイマー」状態になっていた。

今思えば、僕らが気にもしていなかったところで、父の忙しさはめっちゃくちゃだったのだと思うのだけれど、僕らにそんなしんどい姿を見せることは、ほとんど無かった。
今更かもしれないが、父にはとても感謝している。

週に一度の休日に、母への見舞いに、父が「婦人画報」を買い、一緒にでかけたことを今でも覚えている。

母にとって病院での退屈な時間を「婦人画報」が潤していたのだろう、となんとなく記憶している。

 

そしてあれから数十年経った今、あらためて「婦人画報」という雑誌を眺める機会ができたのだが、その洗練された紙面に驚愕する。
少し上品な京都を歩くという企画や、絶品な温泉宿の情報など、ちょっぴりハイソな女性をターゲットにしていて、紙面が磨き上げられている。

 

そもそもこの雑誌どういった方を対象に作られているのだろうか。

「婦人」とされる女性のおしゃれや、充実した生活をサポートする情報が掲載された雑誌という漠然とした目でみていたが、そもそも「婦人」とはどういう人なのだろうか。

ふと翻って「演歌」でうたわれる男と女の恋は、世代的にどのくらいお人たちをうたったものなのだろうか。例えば「愛しても愛しても、人の妻。咲いて寂しいさざんかの宿」なんて歌詞は沁みるのだが、そもそも自分にはそんな人生のフェーズすら無かったように思うのだ。

さらに、こち亀両さんはいくつなんだ。

...といった話が連鎖的に脳裏に浮かんでくる。

 

かつては、漠然とどこか遠くの、ちょっと先の、年上の男性や女性が観たこと、経験したこと。そしてやがては、自分にもそういうことがやってくる。と捉えていたことが、知らず知らずのうちに自分と同じ世代のことであったり、もうとっくに過ぎている、そもそも、自分の人生にはそのルートはなかった。というようなことが、結構多いことに気づき始めたのである。

 

なんだろう、いつかは来ると思っていた、大人の世界だったが、君の人生ではこの世界に入る資格なし!と知らず知らずのうちに決定が下されて、スルーされてしまったような。

ほんとうは多くの人がそのルートに入るであろうとされていたのだが、その資格がないままに終わってしまう人間もいるという判決が下されているような。

 

そんなめまいを、今、あらためて「婦人画報」を見ていて感じたのである。□