「巨人の星」のアニメのOPに、
「思い込んだら、試練の道を」という歌詞がある。
面倒で苦労しかない試練の道を選ぶのが、なんと「思い込み」から始まる。と歌っているのである。
これまでずっとさりげなく聞き流していたけど、改めて読み解いてみると、すごいことを歌っている。
主人公・星飛雄馬の心情を、言葉にしてみると、
「も、もしかして、俺って野球がうまいのか?!
周りに俺よりも野球がうまいやつ、誰もいないし?
も、もしかしたら、俺って天才?
も、もしかして、もしかしたら、世界にも通用しちゃうかも...?」
野球少年がそんな「思い込み」を積み上げて爆発させて、真剣に世界を目指しちゃって、試練の道に頭を突っ込んでいく。
巨人の星の主題歌は、そういう、ドえらい歌である。
スポコンの代表作ともいえる「巨人の星」で、主題歌もしっかりスポコンをしていて、思わず失笑してしまいそうになるが、ふと思うのだ。
果たして、本当に笑っていていいのだろうか........?
思い込んでわが道へ。
...........これって、僕ら全員にあてはまることなんじゃないか。
すなわち、人は、誰も彼も「思い込み」で人生の目標・目的を決めて、その成否も「思い込み」で決めて、生きているのだ。
「自分は仕事をそこそこ上手にこなす、できる男だ」
「自分は後輩から慕われている優れた先輩だ」
「自分は友人・知人を楽しく笑わせる人気者だ」............and so on.
人は自分が生きてきた場所や人とのかかわりの中で、自分が受けた世界から自分への手ごたえみたいなものを、勝手にそんなふうに解釈して、思い込んで、積み重ねて、武装して、心のよりどころにして生きている。
でも、ある日それが全部「思い込みだった」ということが何らかのきっかけで突き付けられる。しかもそれが真逆だったと。
それはもう持ちこたえられないようなダメージが来る。人生をかけて作ってきた武装が全部はがれちゃうんだから。
ほぼ日で糸井さんが、昔の人は「思い込みで生きていられた」というような話を書かれていた。現代の若い人は「思い込みができない時代を生きているから大変だ」と。
思い込もうとしても、ネットやらですぐに自分のランキングがでちゃうから、思い込むこともできないと。
そりゃあ大変だと思ってその記事を読んでいたけど、「思い込みで生きてきた人間が、途中で思い込みをはがされる」時代でもあって、それはそれで、また大変だと思うのだ。
昨年、読んだミステリー「俺ではない炎上」でも、そんな主人公が描かれていた。
自分と同姓同名のSNSで「俺は人を殺した」という発信があり、やがて本当に死体が発見されて、身に覚えのない犯人にされて追い詰められてしまうというストーリーである。
これまで自分を慕っていた家族や友人知人に助けを求めるが、慕われていたどころか、逆に嫌われていた。と、これまでのすべての自分への反響は真逆の思い込みだったということが発覚して絶望をしてしまうというシーンがある。
昨日書いた「いい子」も自分への思い込みだったわけで、思い込みがはがれていくこれからの時代をどう生きていくか、少し立ち止まって考えなくてはいけないのかもしれないと思うのです。(つづく。のか?)□