もう、「いい子」は無理だな。
自分のこれまでの人生をひとことで言えば
「いい子で居たかった」に尽きると思う。
ずっといい子になろう。という選択・行動をしてきた。
例えば、本当は美術大学に行きたかったけど、自分の中で「いい子」であると直感した理系大学に行ったとか。そういう、あえて冒険をして両親を心配させることはしないという優等生な道を選んできた。
これまでそこそこ、自分はいい子でやってこれたと思っていた。
そんな思い込みの着ぐるみが、今ここにきて、剥がれ落ちてきてしまった。
これまで「いい子」であるために、かなり無理をしていたのかもしれない。
それでも「いい子」と世界が見てくれているなら、仕方のない対価だとして受け止めていた。
でも、最近になって、世界が見る僕の姿は「いい子」どころか「悪い子」だったということがわかってきちゃった。つまり、思い込みのオブラートが解けてきてしまった。
無理しても「いい子」だと思ってもらえているのなら、まあ今後も耐えていこう。でよかったんだけど、がんばっても「悪い子」でしかないというのなら、もう無理しても意味はないなと思い始めている。
頑張っても「悪い子」ならば、やらずにいて「悪い子」で、もういいんじゃないかと。
もうちょっと俯瞰してみると、これまでずっと自分を守ってきた「思い込み」が、どんどんはがれてきてしまった。そういう事態になってきている。
「思い込み」が剥がれ落ちてしまった人間は、これからどうやって生きていくべきか。そんなことを考え始めてる。
一つの人生の窮地なのかもしれない。□