怪談グランプリ2021を観ていて、
「あまり怖くないなあ」
....と思ってしまった。
怪談、奇談というものが昔から好きで、びくびくしながらも、話の結末がどうなったかを聞きたくなって、聞いて後悔したりもしていたのだが、ふと、ここ最近、怪談を聞いても、めっきり怖いと感じていない自分に気づいた。
怪談は、絵画に似ている。
「良い(怖い)」か「悪い(怖くない)」が、即座に決まる。
はい、次。
はい、次。
はい、次。
ん....!これは、いいね!!
てな具合で、とにかく良いものに出会うまで、わんこそばを食べるかのように浴びまくり、満足がいくまで続ける。そういうもののように思う。
質より量をたくさんこなして、その中でいいものが1つあるかどうか、くらいのもののように思う。
怪談グランプリは5名の怪談師が出てきて、順に5つの話を披露するが、怪談の量が足りていない。
そう思うと、怪談100物語とはよくできたもので、100話くらい聞いてみて、はじめて「怖い話があった」とか「怖くなってきた」となるのではないか。
小さいころに感じていた、怖さと言うのは演出とか、話し方ではなくて、もう単刀直入に怖かったと思う。兄が学校のクラスメートで聞いてきたような話を、「怖い話聞いたんだけどさ」と持って帰ってくる。
「真冬の早朝に公園でジョギングしていてさ、焚火があったからあたっていたんだよね。そうしたらそれ、焚火じゃなくてさ、自分にガソリンをかけて火をつけて自殺した人だったんだって」
このちょっとした会話の伝達だけで、話の全貌が伝わり、恐怖が体の中に沁みわたり尽くしてしまう。これが本当の怪談だと思っている。
良い(怖い)怪談も、良い絵画も、たった1つのエッセンスがあるかどうかで決まっているように思う。演出とか話し方を変えても、エッセンスがないと、真ん中に入って来ないのである。
まあ、逆にいえば、単に自分が歳を重ねて、鈍感になってしまっただけなのかもしれないけれど。□