続・思い込み論

確かに、いま目の前にいる友人は、

概ね、自分が自分を思っているように、

自分のことを思ってくれているのだろうと、期待している。

 

僕は、僕を、いいやつだ。と思っていて、

きっと彼も、僕を、いいやつだ。と思ってくれているはずだ。

だからこそ、この友人関係を続ける事が出来ているのだと信じたい。

 

そのとき、自分の自分に対する「いいやつ」という思い込みは、

ある程度のところまでは、思い込みではない。

でも、そこから向こうは、思い込みだ。というような、

思い込みの境界線があるのかもしれない。

その手前の自分で残りの人生を逃げ切れないだろうか。

 

.............往生際が悪い。

素直に、これまでの人生お前の思っていた自分は、

全て思い込みだった。と、すっぱだかになってしまえばいいのに。

未だ、そんなはずはない、と、過去にすがりついている自分がいる。

 

すっぱだかになるのは怖い。

これまでの人生で着重ねてきたコートを脱ぎ捨てるには多大な勇気が必要だ。

でも、もしかしたら全てをイッキに脱ぎ捨ててしまったら、かえって、

清々しい気持ちでゼロから、新しい人生を始めなおせるかもしれない。

 

そこに究極の謙虚さと、

世界への感謝報恩の精神と、

ゼロから積み上げなおす素直さが共存する、

新しい自分の世界が待っているのかもしれない。

 

思い込みを全てはがされたはだかの羊は、これからどう生きるのだろうか。□