「それをね、ぱっとやって、さっとやったら、できるのにね、
たっとやるから、できなくなる。それが課題ですよねえ。」
なんだか意味の分からないことを言っている人がいる。
冷静に聞けば、意味が分からないのだけど、
聴くともなく聞いていると、さも何かをやってくれるように錯覚してしまう。
彼らは、1グラムの話を、あたかも1キログラムでもあるかのように話すのです。
技術の職場にいると、なにかをできるかのような話をすれば、
「で、それはどうやって実現するの?」とすぐに返ってきます。
「まだ考えてません」なんて答えようものなら、アホ!ボケ!カス!と返ってきます。
そんな場所に20年間もいたら、流石に出来もしないことは容易に口には出せなくなる。
口に出すのならば最後まで確実に実現できること。責任がとれること。を求められる。
結局すべて自分にはね返ってくるのです。
「ドラえもんを作ります」なんてことは、口が裂けても言えやしない。
だけど、こんな世界の裏側には「ドラえもんを作ります」と口先だけで善良な庶民をまるめこむ人がいる。
「どうやるの」と尋ねられれば、
冒頭で挙げたような、なんだかよくわからないことを言って丸め込む。そして忽然と姿を消すのである。
そして、その無責任な発言のしわ寄せを受けた実務者が、死に物狂いで完成させたとき、彼奴はまたどこからともなくひょっこりあらわれて言うのだ。
「ね?できたでしょう。わたしの言った通りです。できましたよ。」
まるで自分の手柄のように前に出てくる。
言うだけ言って、実務者に責任を押し付けて、
失敗すれば「実務者のミスです」といい、成功すれば「ね、できましたよ」と前に出る。
とても、やっかいな輩です。
先日、環境大臣になった小泉新次郎大臣の発言を聞いて、なんだか普段から感じているそんなもやもやした連中のことを連想したのでした。
上に行くほどに発言が抽象的になるのは仕方がないとして。
上にいる人は、確実に手に入るブラックボックスを見据え、実務者が実現したりつなげられるように露払いをしなくてはいけない。そして上に強く、下にやさしく。でなくてはいけない。と思うのだけど。
多くの人はそんなことには概ね、気付いているのだとは思いますが。
大きく見せようとして、かえって小さくみえちゃっていますよね。
できないことは、できません。とか、難しいけど努力します。とか。
素直になれないものですかね。□