3年ぶりに開催された職場での宴会。
中には入社以来、宴会というものを
一度も経験していない新人もいる。
長いオンラインスタイルにかぶれていたのか、
初めは対面で話すことにややとまどう印象もあったが、
場がたたまれば、それはもう「いつもの宴会」だった。
話題は「好きなコンピュータゲームは?」という方に動いた。
好きな話題である。
たぶん、一人でも、この2時間を語り続ける自信があるほどに。
マリオやら、最近リリースされたゼルダのティアキンにはじまり、
昔懐かしいGame&WatchやMSXパソコンの話にも遡り、話題は
連鎖的に広がっていった。
誰もが「マイベストゲーム」を語りたいのだった。
が、隅の方で「ゲームは全くやらない、わからない」という方がいることに気づいた。
静かに話を聞いてくれてはいるようだったが、
自分がわからない話を延々と聞かされるのはやっぱりつらいだろう。
自分の中に、なんだかわからない罪悪感が芽生えた。
気付けば、ゲームの話題を少しずつフェードアウトさせて、
誰もが楽しめ語れる話題にシフトできないか考え、発言をしていた。
パニックになっている人を見ると、落ち着かせようと声をかけてみたり、
怒っている人を見ると、笑って話しかけてみたり、
今回のような一方向に進む話題を、逆方向にもっていってみたり。
右に寄るものを、左に引っ張り、真ん中に寄せる。
自分の行動の中には「中和をする」という考え方があるのかもしれない。
要するに自分は「平和」を目指しているのではないか。
自分は「平和」な人間なのかもしれない。□