北京冬季五輪

 

本日閉幕となった北京冬季五輪を振り返る。

 

高木美帆選手がスピードスケート1000mで金メダルに輝いた。

 

高木選手はこれ以外でも5種目にエントリーし、そのうち4つの種目でメダルをとるという快挙を成し遂げた。まったくもって恐れ入る豪傑である。

その素晴らしい功績は日本中で讃えられているし、僕も勿論、感動している。

 

....のだが、僕の「推し」は、実は小平奈緒選手だった。

 

感情をほとんど外にださず、たんたんとした中庸な姿勢で競技に臨む姿が美しい。

さらに、前回の平昌冬期五輪では、自らが競技を終えた後、ライバルの韓国人選手がレースに臨む前に観客席に静粛にするように、静かに人差し指を口元に運んだ。
その姿に、なんと美しい選手なのだと感じ入り、鮮明に僕の記憶に焼き付けられた。
その後、この行為は日本人選手のスポーツマンシップやマナーが素晴らしいと世界で評価されたりもした。

 

そんな小平選手に連覇の期待が集まるこの度の北京五輪であったが、500mでは17位、1000mでは10位と、予想を大きく外した振るわない結果になったのだった。

そして一夜明けた翌日、小平選手は大会に望む直前に右足首を捻挫しており、全力でのレースがほとんどできなかったことを告白した。

 

なんとも言葉にできない、ため息が漏れた。

 

「4年間が台無しになってしまった.....」
彼女が漏らしたそんな言葉を耳にしたとき、東京2020のオリンピックでも、400mリレーに臨んだ桐生選手ら4名の選手が、バトンパスが練習通りつながらずにメダルどころか完走すらできなかったレースのことを思い出した。

見ている人間は、悔しくてもどうしようもなくて、ただ見ているしかなく、4年間という時間に積み重ねてきた全てが、ちょっとしたミスや事故で水泡に帰してしまう現実を目の当たりにするのである。
その痛みや悲しみはもう本人しか絶対にわからないものだろう。選手本人たちが絶望的な苦しみを噛みしめている。観戦する我々は余計な口をはさむ余地は一切ない。

 

そんな「取り返しのつかないこと」は、スポーツに限らず、ぼくらの人生にもある。

ちょっとした油断や慢心で、大きな事故を起こしたり、重大なミスをしたり、絶望的な事件に巻き込まれたりする。

そういう経験をした先輩方が、二度とそういうことが起きないよう、後輩である我々に向かって散々口を酸っぱくして伝えてくれたりもする。いわゆる老婆心というやつだ。だが、若い僕らは鼻で笑ってそれを聞き流す。
結局、自分が痛い思いをするまでは、その重大さは体に沁み込んでいかないのである。
裏返せば、ものごとの重大さを体にしみこませるためには、痛い思いが必須なのである。

そして、より重要なことを体にしみこませた人間ほど、やっぱり長い目で観て、より太く強い人間となっていくのである。

小平選手の今回の結果は、表だけみれば満足のいくものではなかったかもしれないが、裏から見れば、とんでもない重要な結果を手に入れたのではないか。

 

人間万事塞翁が馬。と唱え、次に生かしていく。

 

世界のトップで戦う選手たちの姿を、哲学を浴び、自分のパワーに還元して前に進んでいきたい。□