理髪師を想う

 

散髪をした。

 

いつもならば、だいたい2か月に1回のペースで散髪に行っているのだが、このたびはいろいろと予定が入っていたりして、3か月ぶりとなった。

散髪は、いい。

座っている間、無になって頭の中の整理ができたりする。髪を刈る理髪師の手際を頭皮から感じて、理髪師の技術や個性を感じてみたりもするのも楽しい。
そんな時間を過ごして目を開けてみれば、あら不思議。さっきまでぼさぼさだった頭髪が、見事に刈られてすっきりしている。

多くの人にとってはどうでもいいことだが、座っているだけでいつも何か頭が気持ちよく動いて、思ったことや、散髪の爽快感を誰かに伝えたくなってしまう。振り返れば散髪に行くたび必ずブログを書いているような気がするのは、そんなわけなのだ。

 

今日は、理髪師のことを考えていた。

理髪師にとって、散髪をするということは、どういうことなのだろうか。

それは、僕にとってのスケッチに近いものなのかもしれない、と考えた。

目の前にポンと現れたモチーフを、広げた画用紙に描きとり、着彩する。
わずか1時間かそこらで1枚の絵が完成する。
「完成する」というのが重要である。しかも「わずか1時間で」である。
タブローのような時間をかけて作り上げるものとは違い、小さな時間でしっかりとした成果が出る。その気軽さと出来上がるということが両方味わえることがスケッチの楽しさなのであるが。

理髪師は、目の前にポンと現れた老若男女の頭を眺め、そのイメージに似合うように、刈ってみたり、剃ってみたり、洗ってみたりして、1つ1つ作品を完成させているのである。
目の前に現れた粗雑な状態のものを、1時間程度できれいに完成させるのである。
出来上がった作品を自分で眺め、客も眺め、お互い満足して、理髪師は送り出すのである。
成功したと思うこともあるだろう、失敗したと思うこともあるだろう。
お客さんの思いは真逆なこともあるだろう。だが、なんらかの決着をもって作品は完成する。そしてまた次のモチーフに取り掛かるのである。

1日多くて10名程度か。それを何十年。

そのすべてを1枚1枚写真にとって作品集にしたいという気持ちはなかったのだろうか。

それらをまとめてみてみたら、それは確実にその理髪師だけが持つ独自の個性やスタイル、さらには生涯を象徴するものになるのは間違いない。画家が作品を集めて個展をひらいたり、画集を作ったりするのと同じように。

だが理髪師が作品集を作るというのはあまり聞かない。消費され消えゆくサービス。として考えられているからだろうか。

表現の対象や手段は違えど「作品を作り上げる」というエッセンスについては、画家も理髪師も全く同じなのだと思う。

生まれ変われるものならば、理髪師という仕事もちょっと挑戦してみたいと思った。□