断捨離断念宣言

「写真、撮らないの?」

「写真は撮りません。なるべく目で見て、頭で覚えようとしています」


以前アトリエの仲間たちとスケッチにでかけたときの、一人の女の子の言葉が、今でも印象に残っている。

僕はモノに依存する生き方をしている。
記憶力がいい方ではないし、頭の回転も速く無いから、世界が発信する情報に追い付いていけない。さらに執着心も強い。
だからだろうか、すぐに何かを買いたがるし、持ち帰りたがる。

モノに依存するのは、処理すべきものをその場で解決させず(できず)、かかえこんでしまうからかもしれない。
おかげで我が家は、漫画、CD、アニメのDVD、雑誌、そして自分が描いてきたスケッチや作品.........ともかくも、多くのモノにあふれかえって大変賑やかである。
さらに、かかえこんだ情報たちの受け入れが終わっていないうちに、また次の情報が目の前に現れて、また持ち帰ることを余儀なくされる。したがって、どんどんモノがあふれていくのである。
なんとかしたいとは思う。けれど、もうこれが僕の長い人生で作ってきたスタイルなので、今更、持たない生活に切り替えることもできない。

頭で覚えられる人が、うらやましい。

モノは墓場にも持っていくことはできないし、生きている間も、全ての自分のモノを外に持って出歩くことなんてできはしないのだから、できることなら、自分の体一つに全ての情報が収納されている姿が望ましいと思う。そうしたらノートも手帳もいらない。全て自分の頭と共に、出張すればいいだけだ。

でも、逆に全てを頭に入れて持ち歩ける人なんてどれくらいいるというのだろう。
持たない生活を選んだ人も、全てのうちの一部だけを頭に入れて、ときには忘れるというスタイルを受け入れているだけなのではなかろうか。
記憶力や頭の回転なんて実は、持つ事と持たない事とは全く関係がなくて、やっぱり本人の割り切りというか覚悟のようなものがあるか、だけなのかもしれない。

「世界を驚かせるような何かをつくる」という夢を選んだ時、それはそれは頭では到底収納できないような、気の遠くなるようなインプットをしなくてはならない。自分を驚かせたモノたちを身近において、それを超えるなにかをうみだし、もがく日日です。持たない生活はやっぱり難しいかもしれない。

でも、制作もちょっと落ち着いたころには、いつも用が済んだものは処分をしたいと思っています。そんなぼくでもほどほどには、捨てます。

みんなは断捨離、どう?□