納豆芸術

納豆が好きである。

鮨や、蕎麦や、鰻も大好きだが、毎日食べられるものでは無い。
だが納豆は、ほとんど毎日必ず食べている。飽きることが無い。
納豆は、日常なのである。
日常でいただく食べ物という切り口では、間違いなく納豆は1番好きな食べ物である。

納豆が嫌いだ。と言う人は多い。
だけど「嫌い」と言う人でも、納豆が「良い」と言う。
納豆のことを「悪い」と言う人に出会ったことは無い。


「好きか、嫌いかと言えば、嫌いだけど、

 良いか、悪いかで言えば、良いのです。」


これって芸術の鑑賞の仕方とまったく同じなんです。

父を美術館に連れて行くと「わからない」とか「嫌い」とばかり言っている。

「好き」か「嫌い」か。じゃない。

「わかる」か「わからない」か。でもない。

「良い」か「悪い」か。を見極めるのです。

「良い」「悪い」を見極めるのには、リテラシーが必要です。
でも、そのスキルを体得することは、なかなか骨が折れます。
とにかく浴びるように観て、自分の中で好きと嫌いの基準を作って、嫌いな物の中にも「良い」と評価されるものがあることを知っていく。そして「良い」ものを感じていく。
そんなふうに長い時間をかけてつくっていくものです。

だけど逆に、作る側は、鑑賞者にそれだけの負荷をかけることに寄りかかっていても行けないと思います。
たいていの人にとっては「知らんがな」です。それをなんとかして振り向いてもらえるように、わかってもらうように工夫していくのも表現者の義務だと思います。

納豆から芸術論に。なんだかとんでもないところに話が飛んでしまったけれど。

要は、納豆は最高芸術だということでしょうね、はい。□