★定年後 その2

 

欽ちゃんが70を過ぎて駒澤大学に入学したという話が以前あって、いくつになっても学ぶという気持ちは変わらない。という、熱い想いのすばらしさを、僕らに教えてくれる機会にもなりました。

 

「毎日、会う人がいるというのは大切なこと」

 

社会人でいる間は、好きでも、嫌いでも、ほぼ強制的に毎日誰かに会わなくてはいけないし、誰かと話さなくてはいけないから、誰かに会うということが無意識の当たり前なことになっているけれど、社会人を卒業してしまったら、それも当たり前ではなくなってしまう。

第二の人生として新しい趣味に没頭したりして、同じことに興味のある仲間たちとコミュニティを作って深く研鑽を重ねる。なんてことができたら、毎日は変化に富んで楽しい日々を送れるのでしょう。

 

1.体を動かす

2.街に出る

3.人に会う

4.創造する

 

このたびのコロナ騒動を「定年後のシミュレーション体験」と受け止めたとき、今、自分が当たり前としているこの4つを、定年後もしっかり維持し続けていくことができるかどうか。

これこそが、第二の人生を成功させられるかどうか、の明暗になるのではないか、と考えました。

自分一人で閉じた生活をしていたら、自分一人が持つ以上の、情報や変化は得られません。むしろ、自分がとても狭く、小さくなっていってしまいます。

仕事を卒業した人が、短期間ですっかりおじいちゃんになっちゃった、みたいな話をきいたことがあるけど、それは「外への門を閉じちゃった」からだと思うんです。逆に、いつも自分がすべきと信じる仕事を持っている人は、いくつになっても若い。

自分の意思を越えた、外からの「揺さぶり」や「変化」を浴び続けられるかどうか。さらには、ほどよいレベルでも「社会的ストレス」のようなものを持てるかどうか。なのだと思います。
さらに、それらを受けて、自発的に何かを作る。そして発信する。
土いじりしてトマトを育てるでもいいし、楽器を奏でても、絵を描くでもいい。
ただやるだけじゃなくて、発信する。それを誰かにそれを見てもらったり、味わってもらったり、評価を受けたりする。それがストレスになって、やりがいとなるのである。

 

このたびの、僕のこの長い籠城生活の大敗北は、この4つを見失ってしまったからだと強く思うのです。

逆に、そんな体験をし、シミュレーションとしてでも、自分の転落具合を体験できたことが、このたびの大きな成果だったとも取れます。そうとでも思い込んで、このふがいない気持ちになんとか踏ん切りをつけたいと思いました。

この不思議な島民生活もそろそろ終わりです。

リハビリも必要かもしれないけど、また元のレールに戻っていきます。□