「期待をしない」
ということを、肝に銘じるようにしている。
世の中の諍いや争いのすべてが「期待すること」から始まっているような気がする。
自分の中にある感情の起伏も全て、掘り起こしていくと「期待したこと」が根源であるように感じている。
期待したことで、いろいろなことに裏切られた気持ちになったり、憤りを感じたり、あたりちらしたり。そんなみっともない姿を何十年も繰り返して、自分にうんざりして、今やっとここにたどり着いた気がしている。
「ありがとう」という言葉は「有難う」と書く。
このことばに「期待をしない」と自らの戒めた哲学がつながる。
本来は、
期待もしていなかったこと、
誰もやってくれるはずがないであろうこと、
誰かがやってくれることなど到底ありえないことを、
誰かが厚意でやってくれたりしたようなことに対して「有難う」という言葉が充てられたのです。
だけど、ぼくら現代人の多くは、今やなんとなく「ありがとう」ということが口癖になってしまっているように思う。
誰かがやってくれることが当たり前になってしまっていて、「有り難い」という本当の感謝の気持ちなんてすっかり忘れてしまっているのに、機械的な社交辞令で「有り難う」なんて口にしている。
まずは「ありがとう」を原点に戻すこと。それが「期待をしないこと」だと考えている。
この「ほんとうの味方のつくりかた」という本のタイトルに、強く惹かれ、憧れる気持ちがありながらも、味方をつくる。ということばの裏に「自分が期待するに値する人間をつくる」というニュアンスが感じられて、ちょっとおこがましいとも思ってしまう。
「期待をしない」というマイ哲学を貫いていくと「本当の味方は自分だけ」というところにたどり着きます。裏を返せば「自分以外はすべて敵」ということになります。
とてもドライだけど、そこが僕の哲学、目指す姿であり、変えるつもりはありません。
気持ちを緩めず「世間はすべて敵」くらいに思っていた方がいいのだと思っています。
「やっといてくれた?」と人に声をかけて、
「やってません」と言われたとき、
「なんでやっていないんだ」ではなく、
「やっぱりね」と受け入れられる姿を、僕は美しいと思います。
ただ、それを徹底しながらも、「やっといてくれた?」に対して「やっておきました」と言ってもらえる確率をあげておくように、「この人のためならば一肌脱ごう」と思ってもらえる人間になるように、自分自身を美しく磨いておくのは必要だと思います。
STEP1として「期待しない」を原点としながらも、STEP2「有難いことが増えるように努める」ことはやっておくのがよいかと考えてます。
本書は僕にとってのSTEP2の実践書だととらえて読みました。□