★ひとりパワハラ

 

パワハラという社会問題があります。

 

上司から部下への、指示の出し方や、指導の仕方に、上司権限を乱用した無茶な指示や暴力があるなどで、部下をノイローゼにおとしめるような問題です。

 

これは、上司と部下。自分と他人の間の話だけど、最近、自分と自分の間、つまり、自分一人の中にもパワハラがあるのだと、思い至りました。

自分という人間が上司となり、自分という部下に指示を出す。

人間一人の意思というものは、いうなれば、自分の中にいるもう一人の自分が、もう一人の自分に指示を出して動くとも取れます。

ここにもパワハラがあるのですね。

ひとりパワハラというのだろうか。

自分をこれまでずっと苦しめてきたものの多くが、この自分へ多大なる期待をかける自分であり、またその指示に応えられない自分に対する、執拗なまでの折檻だったのでは、と思い至りました。

自分の敵は自分だったのでは。

社会で第三者が敵に回るということはよくあります。というか、ある意味、他人というのは全て「敵」と考えておくくらいがいいのかと、最近は思います。一時的に、うまく付き合ってくれているように見えているだけで、ある瞬間、誰もが「敵」になりうるものだと。

そこに加えて、自分までもが自分の「敵」であったら、もう世界のどこにも「味方」となるものは居なくなってしまう。

ならば、せめて自分だけは自分の「味方」でなくてはならないなと思いました。

これまでの苦しみの根源は、自分も含めすべての存在が自分の「敵」だったことにあるのだと思ったのです。

そう思った瞬間、20年来自分に突き刺さっていた氷河が、すっと溶けたような気がしました。

ある意味の悟りかもしれない。

いろいろな啓蒙書にも、似たようなことばは多くあったと思うのです。だけど、体の芯まで沁み込んできてはいなかったのです。

人生って、なかなか時間がかかるものです。□