将棋と絵画

絵を描くことは将棋に大変似ている一面がある。と思っている。

あらゆる可能性の中から最良の一手を選択する。その一手が勝利というゴールに向かって大きく前進するときもあれば、ちょっとしたミスによって勝利から大きく遠ざかることもある。それらの積み重ねが結果はどうであれ、必ず一つのゴールに収束する。

この週末の一手で、100号が滅茶苦茶になってしまった。

この週末はどうも体調が優れなったのだが、それでも計画をもって進めている以上、なんとしても一手をおかなくてはならなかった。そして大きなミスをおかした。無理をして進めるべきではなかった。順調に進めているときに比べて、誤った一手をおいてしまったときのリカバリーのロスは大きい。このロスを埋めるためにどれくらいの遠回りをしなくてはならないのか.....。目眩がする。


NHKのプロフェッショナルを見ていたら、漫画家の浦沢直樹氏がゲストに出ていた。氏は「MONSTER」「マスターキートン」等の話題作を描き続けている現代漫画界の巨匠である。番組内で自らの作品に対し、氏が言っていた言葉が印象的だった。


「始めに漫画の構想が頭の中に生まれたときは全てが空前絶後の大傑作である。だが、それを描くところまで具体化し落とし込んだとき、当初頭の中にあった大傑作のイメージは大きく削られてしまっていることが多い。
描くときに注意しているのは特に最初に頭にあった大傑作のイメージをいかに減らさずに紙の上に落としていくかである」


大いに共感を持つ言葉であった。
しかし、では表現者は余計な手を入れることなく、そこで制作をやめたらいいのだろうか?そうではない。それはやはり途中なのである。たとえその過程が一時的に良く見えたとしてもやっぱり最後まで描ききらなくてはならない。一手を入れながらもさらに良くしていくための手を常に考えなくてはならない。

今回の一手で100号はゴールがさらに遠くなった。が、ひとまず、リカバリーの手を考えよう。まだ何とか取り返しはつくだろう。
今戦いはひとつ目の山場を迎えている。□