入選

プロの漫画家として活躍していた友人が「漫画辞めます」と発表したとき、
僕らは、新たな次の仕事に向かっていく彼を、激励した。
だけど、本当は「辞めないでくれ」というところに触れたかった。

NHK朝ドラ「半分、青い」で主人公とその仲間たちがマンガ家を目指すが挫折し、消えていく姿が描かれたとき、なんで挫折なんてものをわざわざドラマで描くのか。もっと夢を見させてくれ。お前も主人公なんだから、もっとがんばりやがれ。と思ったことがあった(不条理だけど)。
でも、これまでドラマで散々やってきた友情・努力・勝利で誰もがヒーローになれる。という夢モデルから抜け出すことの作家の挑戦だったととれば、これは新しい現代のドラマなのだと合点がいく。

リアルってのは、本当に非情で、僕らの夢を外から内からどんどんフィルタしていく。
社会的な立場であったり、家庭環境であったり。健康であったり。年齢であったり。
ぼくらは、そんなダイナミックな変化に日々曝され、かつて易々とかつげていた荷物が、時とともに重くなってきて、さらに予想外の荷物まで次々と背中にのっかってきて、更に体力までも削られて、やがて担ぐことが困難になる。そしてついに僕らは筆を折るのである。

冷静に考えると、人間が一生継続できることなんて、ほとんどない。
スポーツ選手であれば、30代に入ればもう引退を考えなくてはならない。
芸能人も10年たてばおっさんおばさんで、これまでとは異なるアイデンティティを見つけない限り、次に現れる若い人たちにポストを引き渡すことを余儀なくされる。
芸術家だって、一生芸術やりますか。と問われれば、なかなか難しい。お金もかかるし体力も必要だ。


言わば僕らは、ゴールのないマラソンレースに参加している。

リタイアは自己判断だ。いつリタイアしてもおかしくはない。

このレースをどこまで続けるかは、誰のためでもなく、ただ自分のためであり、どれだけ継続の大義名分を持ち続けられるかにかかっている。その大義名分は、今この瞬間も、わずかなあどけない夢にしがみつきながら、限りなく小さな風前の灯をちらつかせている。


この度、二紀展に入選した。
今年でもう10年目になる。
無事入選できてほっとすることはあったが、うれしいという気持ちは少しもなかった。

この終わらないマラソンレースの給水ポイントで、次なる給水ポイントまでのわずかな水をもらえた。というくらいなものでしかない。
そして入選の余韻をかみしめる間もなく、来年の給水ポイントを目指して、また走りだすだけである。

華々しい才能にあふれ、スタートから一気に先頭に躍り出る人間とは違い、多くの凡人たちは、スポットライトを浴びることもなく、ただたんたんと走り続け、10年に1回程度、その長い戦いへのねぎらいとして給水ポイントの水が、オレンジジュースになる程度のものでしかない。

来年の自分は、どこにいて、何を考えているだろう。そんなことをほんの少し考えてまた走り出す。□