買う。

「買う」という行為を考えてみる。

「買う」という行為には、多かれ少なかれ「ストレス発散」の目的が含まれていると思う。

僕たちはふだん、一見大義名分があるような言い訳等をするかして、ものを買うことが多い。

例えば「健康のためにジョギングを始めようと思っていて、新しいスニーカーとトレパンを買った」だとか、「資格を取ろうと思っているから新しい机を買って、いっそう勉学に励む」とか。

だけど、いざ買ってみると、本来は「走るため」だとか「学ぶため」だとかいう大いなる目的があったはずなのに、買うことだけで満足、安心してしまって、その後一向に走りもしないし、勉強もしないのである。
いつの間にか素晴らしい大義名分は「買うこと」が目的にすりかえられてしまっている。

買うという目的の本当のところは、「ストレス発散」という目的であって、「走る」だとか「学ぶ」という目的は、ストレス発散ということを隠すための隠れみのでしかなかったりする。

そういう自分は、最近ものをあまり買わなくなった。

かつて最も買っていたのは書籍だったけど、読んだ本はただ本棚に並べられるだけ。という末路に気付いてから、図書館を使うようになって、どうしても欲しいという書籍以外、ほとんど買わなくなった。(これは春の引っ越しに伴い、積もり積もった不要な書籍に人生の体力を大幅に削り取られたことからの学びも含まれている)

ペットボトルも買わなくなった。麦茶を自宅で作り、魔法瓶に入れて持ち歩くようになった。

その他もろもろ。買わなくて良いもの、将来確実にゴミと化すものはなるべく買わないと決めた。

....となると、誰もが持っている「買うことによるストレス発散」を僕はどこで解消しているのだろうか。

 

実は、スーパーなのである。

 

スーパーで買い物をする。
買うものは、生きていくために絶対必要な食糧だから、スーパーでの買い物には「生きるため」という絶対的な揺るぎない目的がある。そして、スーパーでの買い物には、何かを買いたいというストレス発散も兼ねられている。

スーパーでの買い物によって「本当に買わねばならないもの」と「買うということのストレス発散」が兼ねられて、結果として、ものを買わない自分になれたのである。

主婦もきっとスーパーの買い物によって買うというストレスを発散していたのだな、と身をもって知った。

一石二鳥の買い物術。この数か月で手に入れた大きなスキルだと思っている。□