警鐘

 

やっぱり人類はおかしなことになっているように思う。

 

コロナウィルスに追いやられて、テレワークというキーワードを大義名分にして自宅にこもり、業務と日常を混在させながら通勤というスタイルを排除してしまったのだけど、このスタイルが定着することはありえない、あってはならないと改めて思います。

今年の1月、2月ごろからコロナの猛威がゆっくりと迫ってきて、日本だけでなく、世界が覆いつくされてしまってから半年以上もの時間が経過して、今年も残すところあと3か月を切ってしまったわけです。

このままいけば、さらにこの牢獄のような暮らしが長く続くことになりそうです。

 

はじめのうちは、ちょっとした防空壕ごっこというか、テレワークもすぐに終わる小さな非日常として、笑って受け止めていたけれど、やがて、理屈を超えて、頭や体が異常を訴え始めます。

毎朝決まった時間に起きて、定時までに会社にたどりつかなくてはいけない、という日常にいたときには、朝起きるのがしんどいとか、満員列車が難儀だとかぼやいていたのだけど、裏を返せば、通勤という時間を経て公・私を切り分けていられたし、通勤時に目に入る町や自然からのセレンディピティによって、頭にこびりついている業務の垢やストレスを流し落としてもらったりもしていた恩恵を、いまさらになって気づいたわけです。
これらが全てなくなってしまったとき、ぼくらは、業務の垢をそのまま自宅で抱えながらプライベートも過ごさなくてはならなくなった。リサイクルする場がないというのでしょうか。あるいは、一酸化炭素に充満した車の中に閉じ込められた状態とでもいうのでしょうか。毎日がとても息苦しく、命が削られているような気持になることもあります。

昨今、突然著名だった芸能人が自殺するようなニュースが飛び込んできたりして、とても驚いているのだけど、たぶん芸能人に限らず一般人も、自殺者は増えているのではないか、と思うのです。
その原因を紐解いていくと、すべてというわけではないけど、やっぱり人間として当たり前にあった、気持ちを切り替える時間や、頭の中にあるストレスの垢を洗い落とす場所を失って、自己中毒状態に陥った結果なのではないかとも思うのです。

テレワークという業務スタイルのメリットもわかるのです。これからの多様化した人類の新しい働き方の一環として、選べるということはとても大切だと思います。
ただ、今は選んでいるのではなく、やむを得ず社会的にこのような状態に追い込まれて一者択一でこんな生活を続けているだけだからね。

いち早く、この事態を打開して、それから勤務の仕方をフラットに選べる新しい働き方のスタイルをもう一度見直して、立て直すべきだと思います。

改めて、このままだと本当に、人間はおかしなことになってしまうという危機感を感じてます。

 

今年の5月、6月ごろに自分がブログでぎゃーぎゃー書いていたことが、自分に限ったことではなく、社会一般に異常な状態を生み出していることを、なんとなく感じ始めてます。

一刻も早く、普通の生活に戻れるように願うばかりです。□