デジタルの時代が到来して久しい。
パソコンはひとつの文房具となり、書類も手紙も全てデジタルでまかなえるようになった。
漢字は誤りなく変換してくれるし、手紙もメールとなって瞬時に相手に届く。
かくいう、このブログだって、毎晩キーボードをたたいて書いているのである。
が。
そんな時代であっても、やはり手書きの美学は、僕にとって少しも陰りを見せることはない。
むしろ今という時代だからこそ、世の中と逆行しながらも、手書きを愛し、手書きを大切に守り続けていける自分の体質を、誇りに思っている。
手で書くものには、1文字ですら個性が宿る。
機嫌がいいとき、悪いとき、体調がいいとき、悪いとき。
そんな体調やら機嫌やらも無意識に情報として、文字に宿る。
以下に、手書きの美しさを味わえるいくつかの事例を紹介したい。
日本の各地を旅し、それをノートに記録していく某氏のノート。
パッと目に飛び込んでくるアナログな密度が心地よい。
第三者に何か楽しさを伝えるような力強さや憧れを感じさせる。
一瞬、印刷!?とおもいきや。
大変見事な手書き文字である。
万年筆で行う書道か、あるいは写経のような印象を受ける。
きれいな文字を書いてみたい、と多くの人が抱く願いを具体的に実践している。
こちらは文字ではないが、鉛筆による鰐画である。
まるで画面から生きて飛び出してきそうな密度である。
眠る前の30分間、1日を振り返りながら、今日の出来事を手帳にメモしていく。
記憶を手帳に写し取り、ゼロに戻って、また明日に向かう。
そういう儀式のようなものをずっと続けている。
僕にとっての手書きは、生涯守り、続けていくべき最高級の美学なのである。□