新しい社会

コロナで長いテレワーク生活を強いられた人たちは多いと思うけれど、意外とテレワークはできると感じた人もいたと思うし、やっぱり無理だと感じた人もいたと思う。

いずれにしても、テレワークは未だオフィスでやっていた仕事全てを自然に実施できるまでには不完全で、「思った以上にうまくいかない」という課題がはっきりしたことが、今の閉塞的となったものづくりや技術開発に、奇しくも次なるミッションを呼び起こしている。

先日「忖度」という言葉はいらない。というようなブログを書いたけど、今の技術開発の状態も、この「忖度」という言葉に似ているのかもしれない。

「新しい機能を!」という昭和的な商品開発はほぼ収束していて、今は「なくてもいい。けれどあるとうれしいもの」を掘り起こすことが、新規開発に求められるミッションとなっている。

僕は、テレワークも認めながらも、やっぱり仕事ってのは職場でやることが基本で、家の都合やら、新しい働き方の中で、テレワークが少し入ってくるくらいがよいかと思っている保守的なやつなのだけど、今の若い人たちは、もっとダイナミックに変えていきたいと思っている人が多いように思う。若い人というのは、そういう革新を引き起こすだけのパワーを持っているということなのでしょう。

昭和的な考え方では、終身雇用で、定年までの長い住宅ローンを組んで、夫は業務。妻は専業主婦。なんてのが当たり前だったのだけど、その姿も、平成が終わり、令和を迎え、形を大きく変えてきている。

二人で働くスタイルが当たり前になると、妻が家事、子育てをするということは必須ではなくなる。当然、食事の準備をするのが折半になったりするけど、料理のできない夫や、時間のない妻でも、レストラン並みの料理を簡単に作ることができるセットがネットで販売されている。

そんなことを紐解いていくと、料理やら掃除、子育てといった家事も新しく生み出された「なくてもいい。けれどあるとうれしい」という商品になって、穴を埋めてくれていたりする。
仕事は家で完結する。家に居ながらにして、買い物は不要となり、料理もあっという間に終わる。病院や散髪だって、バーチャル医療やバーチャル散髪によってある程度のことはできるようになってくる。学校だって、オンラインだ。

それを突き詰めていくと、会社の通勤を鑑みて、ぎりぎりの通勤可能なラインで、かつローンが組めそうなぎりぎりの物件を探すなんていうかつてのサラリーマンスタイルは、もう時代の遺物となって、山奥の格安の別荘を手に入れて、ローンなし。も、全然夢ではなくなってくる。
もうひとまわり、ふたまわりしたら、全部がひっくりかえってしまっているかもしれない。

テレワークの課題に、やるべきことを見出した後輩が興奮して話している内容を聞いて、ふとそんなことまで思いをはせてみました。

 

盆も明けました。また未来に向かって進んでいくのですね。□