会場を観たとき「枯れ始めている」と思った。
かつての栄光の時代に組み上げられ
強靭だった骨格が、今や脆くなり始めている。
京都で若手の日本画登竜門展をみたとき、
わき腹を槍で刺されたかのような、
不意打ちをくらったような気持になった。
そういうものが、自分の周りに無くなってきている。
お互いが想定範囲内にまとまり、
空間をひっかきまわす人間がいなくなってきている。
かつて公募の登竜門をくぐれば、
マスコミ、評論家、社会が認知し、
社会的に描くことが公認されるという時代があったようだ。
だけど、2023年3月現在、
表現手段は多様化し、
表現者は溢れ、分散し、
かつての権威はほぼ無いように感じる。
ただ、そんな実情を改めて棚卸ししてはいるが、
表現するという行為そのものには、あまり関係が無い。
もともと、自分のためにやっていることだったし、
なにかを、社会に期待したり阿るようなものでもない。
これまでも、これからも、
それに応えるように、自らそれを形にする。
それを繰り返していくだけなのである。□