永遠の命、欲しい?

 

「永遠の命が欲しい」

 

と、言葉に出してみる。

次々とやらねばならないことが、流れ込んでくる。

永遠の命があったら、やらねばならないことを全て

やりとげることができるのだろうか。

 

桶狭間の戦いで勝利目前、悠々自適で、ホホホと

余裕を見せていた今川義元の眼前に、

突然、数百人の織田信長軍勢が攻め込んできて、

仰天して刀を抜き一人二人を切り捨ててはみたものの、

それ、もう詰んでます。というような、忙殺である。

 

見たいと思って録画していたテレビ番組が、

1個見終わるときには、10個増えている。

 

読もうと思っていた書籍は、1冊読むごとに、

読みたい本が10冊増える。

 

作品は描くごとに良くなるどころか、

悪くなる一方で、

大いなる水脈につながっていける気配は

一向にない。

 

永遠の命があれば、こんな忙殺はすべて消えて、

上手くいかない悩みも先送りできて、いつかは

上手くいくことを期待できるのではないか。と

思って見たりするのだ。

だけど、そんなことがあるわけがない。

人は誰もが死ぬ。

それまでの限られた時間での勝負に挑まなくてはならない。

 

描くことは永遠の命を手に入れようとする行為なのかもしれない。

作品は、形を失った自分の身代わりとなって、

永遠に生きてくれるのだろうか。

 

知人が亡くなり、遺品が次々に片付けられていくのを観たとき、

その、直ぐに消えてしまいそうなあっけなさが、切なかった。

 

社会的に知られ膂力で賞をもぎ取り、美術館を作るような

大物作家もいるが、それもいつまで残るかはわからない。

 

まあつきつめていけば、世界も地球も天文学的な時間で観たら、

全て消えていくものなのだろうから、永遠に残るなんてものは、

ありえないのだろうけれど。

 

僕らが一生をかけてできることは、

せめてリレーで次の選手へバトンをつなぐ。それくらいなのでしょう。□