「休日」とは何だろうか。
休日に、休日を改めて考えていた。
日々の忙殺の中、長い間先送りにして積みあがってしまっていた、やりたいことをリストアップして、一気に片付ける。
休暇に入る前日、目の前に書き上げたリストを眺め、これらがすべて美しく完了する休暇後の姿をうっとりと想像し、胸を躍らせていた。
だが、休日に入って2,3日もすると、疲労感がたまり、身動きができなくなった。
「これは仕事なのではないか?」
リストアップしたすべてを休暇の期間にすべて終えるためには、分単位の密度でこなしていかなくてはならない。
そして、それが2日もすると、疲労がピークに至り「一体何のためにこんなことをしているのだ」という考えにたどりついた。
「休日」とは何だろうか。
どのような「休日」を過ごしたら、「休んだ」という気持ちや充実感に至れるのか。
結論として、たどり着いた考えは、
本当の「休日」とは、「消費」である。
ということだった。
「仕事」とは何かを考えてみると、
「仕事」とは、価値を生み出す行為、または、価値を生み出すための間接的な行為。である。
この休日にこなそうとしていた多くは、全てそれに直結していた。絵を描くこと自体も。美術館を観ることも。映画を観ることも。観ることですら、絵画=価値を生み出すための間接的行為であり、仕事になる。それらを短期間でまとめて実行することは、要するに全部「仕事」だったのである。
本当の休日とは、ただの「消費活動」であるべきなのだと思う。
Youtubeで古いパソコンゲームのクリア動画を眺めていたとき。
京都で鞄を眺めて、1つ2つの新しい鞄を手に入れたとき。
友人の個展に訪れて、他愛もない創作活動の雑談をしたとき。
200㎞以上先の場所へ旅する。おいしいものを食べる。
そんなことがこの休暇で実行できた本当の「休暇」であったように思う。
上手に休むということにも、なかなかのスキルがいるものである。□