呼吸を観る芸能

 

能の「道成寺」を観た。

 

忙殺される毎日。

日日せかせかして、時間貧乏な自分が、

突然、「能」という、

この「呼吸を観る芸能」に対峙したとき、

まるで、登っていた梯子が突然消えてしまったような

行き場のないような感覚に陥り、落ち着かない。

 

やらねばならない業務におぼれる中、それを差し置いて、

ほとんど動かない鳥を、一日中眺め続けろとを命令されたような。

 

 

思わず貧乏ゆすりをしてしまいそうになるし、

挙げ句には睡魔も襲ってくる。

 

だけど、しばらくそんな状態にいると、

そんなせかせかした気持ちが、むしろ

じわじわと、ゆっくりと、

この静寂の空間の方に支配されていく。

そしてその感覚が心地よいと気付く。

「能」とは、そういう体験なのだと知る。

 

やがて止まっていたかのような時間が、突然動き出す。

静と動のメリハリ。

少し前まではその動ですら、物足りないと感じるくらいの

忙しい街の中にいたというのに、今は、この動が衝撃的に

五感に刺しこんでくる。

 

シャトーブリアンのステーキを食べる毎日が、

突然、お漬物と白いごはんのみの食事に切り替わったような衝撃。

そして、しかし、

お漬物と白いごはんが最も美味しく贅沢なのだったと

まるで初めて気付いた瞬間のような。

「能」とは、そういう芸能なのだと知る。□