「ここは、いったい何であろうか」
公園?
美術館?
テーマパーク?
・・・どれも当てはまらない。
電車を乗り継ぎ、小田原を経て、送迎バスに揺られる。
風光明媚な水平線を臨む穏やかな丘の上にそれはあった。
江之浦測候所。
訪れる前は、こんな知る人ぞ知るような辺境の地を訪れる人なんているのだろうか。と考えていた。
もしかしたら自分一人の貸し切り状態なのではないか。と思っていたが、乗り込んだ送迎バスは満員だった。
広大な江之浦の丘を切り開いたその場所には散策ができる道が整備され、緑や花が豊かに植えられ、杉本博司氏の写真作品やオブジェがさりげなく置かれている。
さらに氏が収集した歴史的に重要な意味を持つ石のコレクションが、言われなければ気づけないようなさりげなさで置かれていたりする。
そして神社や石舞台、冬至や夏至の日の光が観測できる長い筒状の道が作られている。
氏本人の作品や日本美術にとどまらず、日本の歴史、日本の神々までをも総括した「空間作品」だ。
たいていの美術家がライフワークを残す。ということを考えるときは、「画集をつくりたい」だとか「美術館を作りたい」という発想程度である。
だが氏が打ち立てたのは「遺跡を作る」であった。
この江之浦測候所は、5000年後に竣工することを宣言した「ポスト遺跡」たる作品なのであった。
江之浦測候所は「未来の遺跡」なのである。
そんなものを構想して実現する人間がこの世にいただろうか。その発想のスケールの大きさや、それを実現していく人間力の大きさに、圧倒される空間である。
実際に足を運んでみて、公園でも、美術館でも、テーマパークでもなかったことに納得がした。改めて書く。ここは「未来の遺跡」である。
自分は、この地を作品と感じる以上に、そもそも「杉本博司の存在そのものが作品」なのだと感じた。
人間国宝という存在がいる。
能や歌舞伎や伝統芸能といった重要無形文化財を保持し伝承する存在に認定され与えられるものだが、
杉本博司は、今の日本美術、日本の歴史を象徴する「国宝人間」なのではないか。
彼の宣言するとおり、この場所は5000年後に誰もが朽ち果て忘れ去られた遺跡となり、それをふと訪れた人間が見つけ、この時代を想ってくれるのだろうか。
そこに未来の美が見える。□