「取材」のためのスケッチを大切にしたい。
作品を作るためには、取材が生きてくる。
作品を作るためには、絶対に必要だ。
「描きたいものを描いているか?」
.....という自分への問いに対して、
「描きたいものを描くのは、取材フェーズですべきだ」
.....と答えたい。
改めて、自分は全く取材ができてなかった。
ただ漠然とするスケッチは「気晴らし」であって「取材」ではない。
そんなスケッチは、「日記」としての役割にはなるが、作品をつくるための「素材」にはなっていない。
「取材」とは、「素材」となるスケッチをふだんから、こつこつ続けるということだ。
それは努力ではない。
習慣であり楽しみであるべきだ。
これもまた「気晴らし」ともいえる。
だけど「描きたいものを描ける」という点では、気晴らし以上の気晴らしとなるであろう。そういう活動をふだんからちゃんとしてなければならない。と強く反省している。
いつも個展前になって、アトリエに入ったとき、描くものがない。と悩み、転げ回って、ネットを検索したりしながらアイデアを出したりしているのは、見苦しい。
そもそも、そんな付け焼刃の、にわか取材で、いいものなんて出来るわけがないんだから。
尊敬する学部氏の個展風景を観ていて、ちゃんと取材ができていることを強く感じた。
彼は取材を普段からずっとやっている。
作品が取材をもとに作られていることがわかるし、取材したスケッチそのものも会場に展示しているが、優れた取材スケッチは、そのまま個展会場に出しても作品として充分「おもしろい」。
改めて、取材の大切さを、強く意識したい。
そうだ、取材しよう。□