認知するということについて。
人が人を認知して、さらにその人のことを記憶する、
というところまでには、
途方もないステップがあるように思うのです。
ところどころで、作品は観てるんです。
展覧会の会場で、ふと、その作品を見て、
「あ、いいな。」なんて思ったりする。
だけど、それがなんという作家の作品か、
その作家がこれまでどのような経緯で
この作品にたどりついたか、なんてところまでは
知ろうという気持ちには至らず、会場を離れ、
家に帰ってしまえば、もう記憶の中に埋もれてしまっている。
だけど、しばらく経って、また別の展覧会で
また「いいな。」という作品に出会ったとき、
キャプションを見て、「あれ?」と思ったりする。
この作品って、以前観たあの作品の作家だったかな.....?
となって、点と点が1つにつながり「線分」になる。
それでもまた会場を離れると、
その存在は記憶の中に埋もれてしまう。
で、みたび。
また、再開するんだ。次の作品と。
そのときになってようやく、
「この作家はすごい。
一体どこの誰なのか。
過去にどんな作品を描いていたのか。
他の作品を観られる機会はないのか。」
いくつもの点がつながり「面」となって、
その作家のことや他の作品を調べ始めたりする。
ここでようやく、その作家は、
自分にとって確実な「認知」となり、記憶になる。
初めての出会いからそれまで時間を振り返ると、
5~10年くらいかかっている。
それだけすごい仕事をしている人が発信していることを、
アートに興味があってずっとアンテナを張っていても、
認知までに、それだけの途方もない時間がかってしまっている。
何か大きなブレークスルーが無い中で、
個人の存在や活動を、人に認知してもうらというのは、
どれだけ大変なことであるか。そんなことを思い知るのです。
杉本博司氏の作品は、10年くらい前に見ていたのです。
「海景」を見て、衝撃的なインパクトを受けた。
直ぐに影響がでて、水平線のタブローを描いてしまったくらい。
でも、その時は杉本博司という名前すら記憶には残っていない。
それからまたしばらくたって、
瀬戸内国際芸術祭で直島を訪れたとき、
そこでも杉本博司氏の作品を観ていた。
作品としてはしっかり覚えているのに、
それでもその時には、
作家の名はまだ記憶に焼き付いていない。
そして、姫路市美術館の「本家取り」。
さらに、日曜美術館での江之浦側溝所で、
ようやく...!(ほんとうにようやく)
杉本博司氏の名が、
一生忘れられないほどの強烈な光となって
脳に焼き付いたのである。
振り返ると、1年前の芸術新潮でも特集が組まれていたのだけど、
完全に見過ごしている。で、今改めて精読をしている次第である。
これだけすごいアーチストであるにもかかわらず、
認知されるということにこれだけの時間がかかってしまう実情に、
では、自分のような存在は、永遠のような時間が無い限り、
他人に認知などしてもらえないだろう..........。
なんて、絶望的な気持ちにもなったりする。
ただ確実に言えるのは、
認知されるかどうかという結果は関係なく、
作家は、いつでも、どこでも、誰とでも、
アンテナを張っている人に向かって、
つながれるように常に1000%の作品を作り、
ブロードキャストし続ける。それしかない。ということである。
それは、
ボイジャー探査機にのせられ、
いつか出会う宇宙人に向けて、
今も宇宙を飛び続けている、
ゴールデンレコードのようなものだ。□