★ひとことでは言えないこと。

 

あるコンクールで大賞を受賞した作家がいて、

以来ずっとファンで、その作品を眺めている。

 

「これは作品になるのか?絵になるのか?

 と思いながら着手した。」

 

受賞時のコメントで作家がそんなことを言っていた。

 

ひとことで言えば「読書する女性」を描いた作品だ。

確かにそれだけであれば、どうやって作品にするのか、

と悩んでしまうところだ。

少なくとも自分はそのテーマで作品を作れる自信がない。

 

「イニシェリン島の精霊」をひとことで言えば、

「ある日突然、親友に絶交されちゃった男の話」

ということになるのだけど、

未だ観ていない人が、それだけ聞いたら

「え、それって映画になるの?」

「まるで面白そうな気がしない」

なんて言う人もいるかもしれない。

 

でも、それが作品になってしまっている。

そこがすごい。という映画です。

 

ひとことで言えちゃうからといって、

じゃあもう観なくていいや。

なんて思うのはもったいない。

それを作品にできるからこその才能なのだろう。

 

落語も同じようなものだ。

落語を聞いたことがない人が

「どういう噺なの?」とあらすじを聞こうとするけど、

聞いてみると、それって何が面白いの?というくらい

あっけなかったりする。

だけど、あらすじじゃないんだよな、楽しむところが。

 

それってどうやって作品にするの?というところを、

作家が介在すると、作品や芸になっちゃうので、

それを楽しむものだなのだと思うのです。

 

自分も絵を描いていて、

何を描いているかとひとことで言えば、

「錆びれたバラック」を描いてる。のだけど、

それが作品になってくれなくて、苦しんでいる。

 

誰もが見過ごすような何の変哲もないようなテーマや事柄を、

誰もが見過ごせないような作品に、結晶化できるかどうかで、

素人とプロの境界線が引かれちゃっているのでしょう。

 

「イニシェリン島の精霊」は、

絶交した男と絶交された男が2時間、魅せます。□