あるコンクールで大賞を受賞した作家がいて、
以来ずっとファンで、その作品を眺めている。
「これは作品になるのか?絵になるのか?
と思いながら着手した。」
受賞時のコメントで作家がそんなことを言っていた。
ひとことで言えば「読書する女性」を描いた作品だ。
確かにそれだけであれば、どうやって作品にするのか、
と悩んでしまうところだ。
少なくとも自分はそのテーマで作品を作れる自信がない。
「イニシェリン島の精霊」をひとことで言えば、
「ある日突然、親友に絶交されちゃった男の話」
ということになるのだけど、
未だ観ていない人が、それだけ聞いたら
「え、それって映画になるの?」
「まるで面白そうな気がしない」
なんて言う人もいるかもしれない。
でも、それが作品になってしまっている。
そこがすごい。という映画です。
ひとことで言えちゃうからといって、
じゃあもう観なくていいや。
なんて思うのはもったいない。
それを作品にできるからこその才能なのだろう。
落語も同じようなものだ。
落語を聞いたことがない人が
「どういう噺なの?」とあらすじを聞こうとするけど、
聞いてみると、それって何が面白いの?というくらい
あっけなかったりする。
だけど、あらすじじゃないんだよな、楽しむところが。
それってどうやって作品にするの?というところを、
作家が介在すると、作品や芸になっちゃうので、
それを楽しむものだなのだと思うのです。
自分も絵を描いていて、
何を描いているかとひとことで言えば、
「錆びれたバラック」を描いてる。のだけど、
それが作品になってくれなくて、苦しんでいる。
誰もが見過ごすような何の変哲もないようなテーマや事柄を、
誰もが見過ごせないような作品に、結晶化できるかどうかで、
素人とプロの境界線が引かれちゃっているのでしょう。
「イニシェリン島の精霊」は、
絶交した男と絶交された男が2時間、魅せます。□