全部、青い。

朝ドラの「半分、青い」を観ています。

どうして誰も彼もが「挫折」してしまうのだろう。

漫画家、秋風羽織先生に弟子入りした3人。全員プロデビューしたものの、まずその一人、ゆうこの売り上げが伸び悩み引退します。その壊れ方もなかなか痛かったのだけど、そのときは、主人公の鈴愛は「わたしは、まだがんばる」と言ったので、納得していました。
だけど、しばらくしたら、今度は主人公の鈴愛も「もう描けない」と言い出して引退。
岐阜の田舎から漫画家になることを目指す少女の物語と聞いていたから、なんだか骨格が抜けてしまったように感じました。
鈴愛は、漫画家をやめ、今度は新しい職場で出会った彼が映画監督になると言い出します。その夢に思いを乗せてみたけれど、鈴愛と彼が結婚し、子供ができたら、今度はその彼が「もう未練はありません」と映画監督への夢をさらっと捨ててしまう。
出てくる若者たちが次々と気軽に夢を捨てている。なんなのだろうか、この展開は....。

現実の世界ではこういったことは、よくある話です。むしろ挫折することが現実ですから。
でも、だからこそ、僕らはドラマと言う虚構に非現実を期待しているわけです。どんなにぼろぼろでも漫画家への夢を捨てない主人公や、映画監督への夢をあきらめない男に夢を託しているのです。それがドラマの中の人間たちまで現実になってしまったら、僕らはどこでガスを抜いたらいいのでしょう。
多様な視聴者のアンケートから「虚構よりも、挫折する現実の人間を描いて欲しい」という強い要望があったのかもしれない。それもひとつのものづくりなのかもしれない。でも、現実のやきなおしみたいなドラマがそんなに面白いのだろうか。
挫折しても良いんだよ。また頑張ったらいい。みたいなテーマなのでしょうか。

...とまあ、作品を楽しむ消費者の目では厳しいことを書いていますが、作り手としてみるといろいろなことを感じます。
商業性と芸術性のはざまでいろいろな葛藤があって、今回のドラマがあると思っています。いろいろなものに挟まれて、作家だけの権限でもなく、作品はできているのです。この世界で、作品を作ることがどれだけ難しいかということを感じます。視聴者もそんなことを読みながらコンテンツを楽しむ時代なのかもしれません。□