杉本博司が、すごい。
彼はこれまで一体、どこに隠れていたのか。
否、隠れてなどいない。
彼の活躍の場は世界であって、
日本の上空をずっと飛んでいたのである。
否、時折日本にも降り立って、足跡を残してもいた。
自分も「海景」や直島の護王神社には対面していたのだ。
けれど、彼という存在と作品が結びつくには至っていなかった。
「欲しい。」と思う。
が、自分は一体、何が欲しいのだろうか。
彼の持つ才能か。彼の作った作品か。
図録を手に入れても、手に入ったという気持ちが湧いてこない。
著作を手に入れて読んでも、未だつかめたような手ごたえがない。
彼の活動は、作品や著作のみにとどまらず、
彼をそうさせている事象、
すなわち、
彼の存在自体が、価値になっている。
だから、作品や著作といった手に入れられるものでは、
満足ができないのだろう。
優れた人、優秀な人は世界に幾多とおられるが、
自分が、人間にそういう位置づけや価値を感じたことは、
これまでほとんどなかった。
これは、いうなれば、シン・人間国宝。である。
細く補足:
一般的にいわれる人間国宝とは、能や文楽、歌舞伎のように、日本人の古からの歴史と共に淑やかに続けられ、守られ、残されてきた伝統・文化を、その生き証人としてリレーのように引き継いでいく、いわば語り部のような存在に対しての栄誉に与えられるもので、これまで自分は、そういう人もいるのか、と彼らを受動的な肯定。という受け止め方でその存在を容認してきた。
が、こと杉本博司については、自分が主体的に、この人は国宝だ。と思ってしまった。
新しい人間国宝の形を自分に定義させた存在だと思ったのである。