制作日記

 

「絵を描いているんですか。画伯ですね」

 

「画伯」という言葉がどうも好きになれない。
絵など見たこともない人。興味がない人。が、とりあえずとして、安易に使う言葉のように感じる。
僕の絵を見たこともいないのに、なぜ即座にそんな形容ができるのか。
かえって馬鹿にされたように感じて、とても心外な気持ちになる。
裸の大将が、肩書や私利私欲で絵の良し悪しを決めているような人々に「山下画伯~!」と呼ばれながら追いかけられるシーンが「画伯」という言葉を腐らせてしまったのではないか。
山下清は、本当に素晴らしい、まさに「画伯」という存在だが、実際に山下画伯の本物の絵を見て、心から敬い「画伯」と呼んだ人がどれくらいいたのだろうか。

「文豪」という言葉は好きだ。
「小説を書いているんです。」という人に即座に「文豪ですね」という人はいない。
この言葉は、どんなものを書いているのか、社会的実績があるのか。等が、一般的にきちんと見定められた人にだけ使われているように思う。
芥川賞直木賞というれっきとした社会的な評価の指標があり、そのすごさがなんとなくでも誰にでも伝わっていて、登竜門をくぐった人間にのみ使われることがゆるされているような言葉だからだろう。

 

「ミュージシャン」やという言葉も同じようなすみわけができているように思う。

 

小説や音楽ではプロフェッショナルに対する正しい言葉遣いがされているのに、絵画をやる人間にはゆがんだ言葉使いがされている。
こんなことになったのは、やはり絵画という芸術が文藝や音楽といったものよりも、はるかに一般の人から疎遠なもので、むずかしいもの、わからないもの、どこかの限られた人がやっているもの、商業性がないもの、といったイメージでとらえられ、数少ない作家に対するその場しのぎの形容詞が必要だったのだろう。

 

今「画伯」に代わり、正しく使われている言葉は「絵師」くらいだろう。
もともとは狩野派や長谷川派といった日本画家に使われていた印象がある。
今は主にライトノベルとかアニメとかで描く作家に使われがちになっているが、それでも本当に優れた作家にだけ使われている言葉のように思う。

「巨匠」という言葉もあるが、巨匠は数々の武勇伝と作品制作を重ねてきた重鎮に使うようなイメージで、ランクが高すぎる。

 

「画伯」を卒業するためには、「絵師」や「巨匠」と呼ばれる存在になるしかないのである。□