木屋町のサンボアに飾られていた言葉。
いい言葉である。
とても軽やかである。
たった3行の小さな言葉だけど、酒が本当に好きであるということと、酒を本当に楽しんでいるということが、読む側にも的確に伝わってくる。
初めて見たときは、羨ましいな。と思った。
この言葉は、文豪であったり、芸術家であったり、芸能人であったり、一般人からみて少し特殊で高みのある世界に生きる人だけが楽しめる限定された空間を書いたもののように受け止めていた。上から下に発せられた言葉のように思っていた。
だけど、今改めて見てみると、
気の置けない仲間たちとうまい酒を飲み、楽しく語り明かす。
ほろ酔いになったころ合いに軽く唄おうか、なんて雰囲気になる。
そして嫌なことなんてすっかり忘れて、酒と共に気持ちの良い眠りに入る。
...........ということであって、これは特別な上の人だけが味わえる空間ではないと気づく。僕らもそんな時間をもっているのである。
時代も、場所も、飲む人も、それはもちろん違うけれども、それぞれ誰であっても、ここに書かれた同じような、酒を楽しみ、酒を愛する時間・空間をもっているものである。
この言葉は、上から下の者に発せられた「羨ましい言葉」ではなく、酒を本当に楽しんでいる人が、酒を愛する全ての人に、その嬉しさを共有したり共感したりするために残された言葉なのではないか。
たった3行の言葉に、自分の酒への愉しみを盛り込みつつ、第三者がみても、その愉しみが共有されたり、共感されたりできるような普遍性が盛り込まれている。
これは絵画ではない。だが、これこそまさしく絵画が目指すべきものではないか。
絵画が目指すべきものが、的確に実現された稀有な事例ではないか。
楽しそうに、簡単そうにできていながら、自分の伝えたいことがスリムに盛り込まれていて、第三者がみてもしっかりそれをキャッチできる。共感できる。
これこそが芸術の使命なのではないかと思うのです。
僕はこれを絵でやりたいのである。□