スクラップブックのニオイ。

 

甲斐荘楠音が同級生だったら、

親友になれたかもしれない。

 

2枚ならぶ「横櫛」を観て、

呼吸が止まる。

隅々まで緊張感が行き届いていている。

全てが丁寧に描かれ、寸分の隙も無い。

ただものではない。

 

やがて彼は描くことを脇において、

映画の世界に入っていく。

これだけ描けるのに。

だけど、その新しいフィールドで、

すぐれた衣装デザインをたくさん残す。

「越境」という言葉も、この業績があったからこそ

ハードボイルドに響く。誰もができることではない。

 

要するに「狂っている」。

自分は自分に無い「狂気」に引き寄せられる。

その狂気の裏付けが「スクラップブック」である。

 

スクラップブックを作る人間に悪い人間はいない。

 

なんていう語録は、別に誰も言っていない。

勝手に自分が思っているだけだ。

スクラップブックはある意味、作品を超えて

空間を支配してしまうことがある。

スクラップブックが支配する空間が好きだ。

 

スクラップブックというのは、

大好きなものを1冊に集約しておけば、

手っ取り早くすぐに閲覧できる。という欲望の

結晶化である。

自分が閲覧するために作るもので、

他人に見せるためのものではい。

だけど、絵画作品のように、魅せるところと

魅せないところを整理して作り込むものとは違い、

そのまんま本人が出ちゃっているから、まあ「臭い」。

スクラップブックを他人が眺めれば、

その人間の趣味・嗜好、考え方が見える。

絵画といった作品よりもよりストレートに

作家の姿が見えちゃうから、ある意味、作品よりも

魅力的な作品ともいえなくもない。

 

「横櫛」も良かったし、

ライフワークの「虹の懸け橋」も良かったけど、

甲斐荘楠音のスクラップブックを観て、

もう「やられちゃった」んです。

みうらじゅんに匹敵するほど、においました。□