「芸術は爆発だ」
かつて岡本太郎画伯がそうテレビで吠えていたが、
今改めて、やはり芸術は「爆発だった」と確信する。
AIが絵画を描く時代である。
AIという言葉が耳に強く入り始めてから数年で、恐るべき勢いでAIが多方面に展開している。絵画を描くだけでなく、小説も書くし、作曲もする。
AIに絵を描かせるのは人間であり、描くためのキーワードの指定によって完成する絵の質ががらりと変わる。
どのようなキーワードを選択するかが一つの才能としてみなされ「AIに絵を描かせるアーチスト」が現れた。
これからまた数年で、さらに大きく変わっていくことだろう。
話題のChatGPTに人生相談をしてみた。
2022年11月にこの世に出現して半年もたたないうちに1億人を超える人が使い始めているという。またITによる大きな革命が生まれている。
どんな質問にも、即座に的確な答えが返ってくる。
あまりに的確な答えなので、何度か対話を続けてみると、直ぐに質問が止まる。
自分は、その程度の浅い生き方をしているのだ、ということが間接的に証明されてしまうのだが、質問がなくなってしまったわけではない。
AIの答えはつくづくごもっともなのだけど、それはいわゆる「最大公約数」であって、自分が最も知りたかったことではない。
だけどその知りたいことを聞きだすために、どういった質問をしたらいいかがわからず、手が止まるのだ。
そしてそれはおそらく、AIには答えることはできない。
一番知りたい答えは、結局人が自力で見つけ、生み出すしかないということをなんとなく感じている。その答えを見つけるのが、AIにできない、人間が生きる目的なのだと感じている。
芸術について、ChatGPTに聞いてみた。
「私は人工知能であり、感情や好みを持ちません。」
その答えに、人間の人間たる存在意義があるのだと改めて思い至った。
展覧会の会場で素晴らしいアートに遭遇した時の衝撃。
敗北感や絶賛や感謝の気持ちがごちゃまぜになったような言葉にできない思いが脳内で爆発する感触は、声にならない絶叫は、機械では知りえない感動だ。
好きなことや嫌いなことがあること、感動できること、は人間だから持ち得る財産なのだ。
当たり前になっていて忘れかけていたそんなことを今、ChatGPTとの対話の中で思い出し、再認識したのだった。
AIが描く絵画は、これまで人間がコツコツ積みあげてきたものを総合的に学習して、それらを引っ張り出し、組み合わせるという点ではすごい。無限に近い数の階段を登り詰める超・帰納的な制作ができるということだが、逆にその帰納的なアプローチからは抜け出すことはできない。
人間が描く行為、創造という行為は、
「帰納的」であり、
「演繹的」でもあるが、
その間に、もうひとつ、
「空間爆発的」とも言う、
まさに人間しか出せない予想を超えた創造がある。
例えばコンクールで受賞するようなすぐれた芸術作品を見たときの衝撃は、
「いったいどのようにしてこんなものを描いたのか」であり、
それは帰納的でも演繹的でもない。
全く想定していないところで爆発を起こし、
全く想定していないところに突き刺さってくる。
それが人間の創造である。
人間の生み出す芸術はまさに「爆発」なのである。□
【おまけ】ChatGPTへの人生相談(抜粋)
むむう、謙虚なやつ。
本当に信じていいんだな。将来、スカイネットとか企てるなよ。□