制作日記

 

感覚で生きている人間なので、理屈が苦手だ。

 

理系なので理屈が得意でなくてはいけないのだろうが、いつのころからか、自分の中での感覚と理屈の優劣が逆転していた。

今も周りには理屈を積み重ねる人間が多いが、正直「くどい」。

理屈も苦手だが、理屈で語る人間も苦手だ。

彼らは、理屈をずっと積み重ねて行ったら、どんなことでも正解にたどり着ける。と信じているように感じる。

AIのように知識を集約して再構築したら優れたアートが生み出せる。というのも、理屈の発想だ。

アートに携わる自分が、理屈を苦手としたり、AIに脅威を感じるのは、「理屈の積み重ねで正解が生み出せる」という彼らの仮設が正しいと証明されはしないかという恐れなのかもしれない。

かつて自分も、絵を描くとき、先輩方の絵を参考にしたり、理屈を積み重ねていけばいい絵が生み出せると信じて研究をしていた時期はあった。

だけど、優れたアートを生み出す人の作品は、帰納的でも演繹的でもなく「爆発的」というような、理屈を超えた跳躍の末にたどりつくように感じている。

理屈で語る人間は、その「爆発」を信じていないし、見てすらいなかったりする。

苦手という以上に、彼らに嫌悪を感じるのは、人間の尊厳というか、人間として最も大切な部分をないがしろにするような、支配をしようとするような、傲慢さを感じるからかもしれない。□