贈る気持ち

 

阪急百貨店にでかけて、贈り物を探した。

 

混雑する地下店内を歩く。

人混みの隙間からウィンドウをのぞき込みながら、

ぐるぐると散策する。なかなかのパワーが要る。

ようやく、これだ!という商品を見つけて、

列に並び商品を求める。

 

贈り物であることを伝えて、梱包をしてもらう。

リボンやシールも付けて丁寧に梱包してもらう。

 

待つ間、ふと自分の心が、ほっこりとゆたかな

気持ちになっていることに気づいた。

そうだ、前にも贈り物をしたとき、こんな気持ちになった。

 

人に何かを贈るという行為は、

相手を想っているという「気持ち」を、形に置き換えて伝えるということだ。

その形は、美味しいものであったり便利なものであったりする。

それらを、全て自分で準備ができればそれにこしたことはない。

だけど、そんな準備をするには時間が限られているし、

世の中にはプロが作り上げたもっと素晴らしいものが溢れている。

だから、より手間のかかる商品であれば、自分で準備するよりも、

プロにアウトソースするという、代替手段を使う。

そういったものがサービスという商品であり、

こちらの求めている「気持ちを形にしたい」という要望を、

的確に相手に伝えるもので応えてくれるのである。

 

贈る側は、「選ぶ」という行為と「購入する」という行為を行い、

サービス側は、「ものを提供する」という行為で、贈る側を補佐する。

贈るという行為は、サービス側も贈る側も、楽しい気持ちになる。

贈る側は、贈り物を受け取る相手のよろこぶ顔を想像して、さらに楽しくなる。

 

そんな一連の気持ちよさを、梱包を待つ間噛みしめていたのだけど、

ふと、この気持ちを作品にできないものか、と思ったのである。

最近の自分はスランプ気味で、満足する絵を描けていない。

なにか義務のようなものに縛られていて、

楽しく、のびのびと描くことからは程遠い。

 

良い絵を見るときは、贈り物をもらっている気持ちに似ている。ということに気が付いた。「観てくれる人への贈り物」という気持ちで描けないだろうか。

少し考え方、見方を変えて、描いてみたいと思う。□