製作日記

 

「描くのはしんどいですか」

 

尊敬する作家の先生や先輩方の個展に挨拶に行った折、いつもだいたい同じような質問をさせていただいている。そしてほぼ同じような答えが返ってくる。

 

「めちゃくちゃしんどいね」

 

描くことはしんどい。
それはどんなベテランであっても何ら変わらないようだ。
ベテランでもないが、同じ描くものとして僕自身も苦しくてたまらない。
僕らの絵を見てくれる方々にとっては「たくさん描けて、楽しそうでいいですね」というふうに見えているようである。だが、自分は楽しく描けたためしはほとんどない。絵を描くほとんどの工程は、苦しみのように思う。

いったいなにがそんなに苦しいのか。

改めて考えてみた。

もっとも苦しいのは、最初に計画した通りに描いているのに、描いてみたらちっとも良くなかったときである。
こんなふうに描いたらきっとうまくいく。そういう計画を立てて、成功することを期待をして描き出すのだが、実際に出来上がってみると、とても見られたものではない。ちっともおもしろくなかったりするのである。
そのとき、うんざりするのである。
例えるならば、大海原に冒険にでるとき、長い航海に向けた食事やらなにやらを周到に準備をして出航したにも関わらず、海のど真ん中に出てみたら、食料が全部腐っていた、必須の道具が使い物にならなかった。そんな感じである。
海のど真ん中で、遭難した状況だ。
これからどうやって生き延び無事に目的地に到着するかを考え直さなくてはいけない。絶望的な気持ちになる。
ぼくにとって描くことは、ほとんどがそういう時間なのである。
計画通りに描いて、計画通りにおもしろく完成したら、まさに楽しくてしょうがないのだろうけど。そんな経験はいままでほとんどない。

しかも、そんな状態になってから完成させなくてはいけない〆切が短い。
貴重な時間を割いて描いたというのに、ちっともうまくいかなかったとき、そして残された時間がほとんどないとき。史上最悪の苦しみになる。

このちっとも面白くもないものを、どうやって面白くするか。の案をもう一度考え直す。そして描きなおす。そしてそれもまた、成功するかの確証はない。完成までそれが続くのである。時間もない。

きっと「作る」ということは概ねだれもがほぼ同じような苦しみの中にいるのではないか。だからこそ「価値」になるのだと思う。

 

コンチクショーと叫びながらこの駄作を窓から投げ捨てて、酒でも飲んで寝てしまいたいものだ。

 

でもそれ以上に完成させたいという気持ちがわずかにでも高いから、やめずに続けているだけである。そして完成したという体験が、自分を少し癒やして、立ち止まる直前で、なんとか次の作品をつくろうという自分にバトンがわたっているだけである。いつかはバトンを取り落としてこのデスレースから脱落する日も来るのかもしれない。

だが、少なくとも今は、まだなんとか続けている。
なんとか、これが自分である。とほこりをもって言い切れる作品を作りたいと思っている。それまではまだ、苦しみにしがみつく。□