制作日記

 

描くことが楽しくて仕方がない。

 

最近、そういう気持ちに限りなく近づけているような気がする。
20年近くにわたって続けてきたことには、少なからず「楽しかったから」があったのだろうと思うが、振り返ってみると、それ以上に苦しかったという気持ちの方が強い。
ただ「やめちゃったら、終わり」という恐怖に押されるように、引きずられるようにして続けていたにすぎないような気がする。
描けば描くほど気に食わない。あれやこれやとモチーフを変え、技法を変え、構成を変えてはみるものの、何もかも二番煎じで、酷評ばかりが跳ね返ってくる。
そのうち、手も出し尽くしてしまい、カラカラに乾いたぞうきんのような気持になって、ただ歯を食いしばって踏みとどまっている。そんな状態が幾年も続いていたと思う。やがて、コロナ禍がやってきて、開催直前の個展が消滅し、描けない口実にコロナをこじつけた。

長く続く自宅の引きこもりのような生活で、いわば監獄の中で暮らす囚人のように窓から差し込む小さな光を見つめる日々が続いたが、今となっては、これが自分を「蘇生」させる兆しだったのかもしれない。
朝の小さな光や夜のしじまをじっとながめるような時間はこれまでなかった。
小さな時間にありったけの忙しさを詰め込んで、消し飛んでいた毎日の見え方が、ごっそりと変わったような気がしたのです。
毎晩筆を握り、歯を食いしばり描くというお決まりのやり方の入口に、大きな「IF」があって、そのもう一つの「IF」の方に手が向かったような手ごたえがあったのです。

 

かろやかです。

 

感覚が求めるところに素直に絵具を置いていくかんじ。

これまでの自分の絵とは全く違うものができていくかんじ。

それを楽しみにしている自分がいて、手が止まらなくなる。

 

描くことが楽しくて仕方がない。

 

本当にそう言い切れるのかどうかは、まだよくわからない。
単なる一時的な気まぐれのようなものなのかもしれない。
いつまでつづくかはわからないけれど、少なくとも、今だけは、1年前よりは楽しく描けているように思う。

個展まであと47日。

さいごまでこの調子で走り抜けたい。

 

きっといい展覧会になる。ぼくの学園祭は終わらない。□