大木の迷路

河北美術展に入選する。


おめでたいことではある。が正直、胸をなでおろせるような状況では全くない。
落選した上野展の講評会に出席して、いかに自分が何もわかっていないのかを直視せざるをえなかった。今回の入選はただの「慈悲」だと思わねばならない。


限られた時間の中でより早く自分らしさを見つけたいとあがいているものの、一向に何も見えてこない。否、それはいい。むしろ無理やり自分らしさを出そうと焦るあまり、自分が何をやりたいのかすらわからなくなっている。
最近は自分らしさなんてわざわざ探さない方がいいとすら思う。そんなものは探す必要もなく既にあって、いづれ嫌でも勝手にでてくるくらいになるのだろう。探す必要なんてない。やりたいようにやりたい。


義務とか使命ではない。そんなものは全て捨てて「ただ描きたい!」という純粋な思いまで立ち返らないとこの先は進めないようだ。
いわば、大木の枝の枝の枝の先まで入り込んでその行き着く先を見、そこが自分にとって最も居心地のいい場所ではなかったと知り、引き返すような感じ。
引き返して引き返して結局大木の根元まで戻っても純粋な状態に戻れないとき、人は良くも悪くもそのフィールドから卒業するのだと思う。


自分はまだしばらくはこの大木の迷路をさまよい続ける。□