光陰

30半ばをすぎて。


特に最近、時間の経過のあまりの早さにおびえている。


毎日は、確かにあった。振り返ると、確かにあった。


でも、残っているものは、何もない。そこに恐怖する。


その恐怖を癒す手段は「映画を見る」のと「描くこと」。それしかない。


映画は自分の幅を広げる。描くことへのINPUTにもなる。畑を耕している実感。


描くことは自分の確かな出力。残された絵が時間の結晶として残っている実感。


それ以外は、すべて不安。誰かがいうゲームに没頭した後の空しさと同じ。□