映画「響けユーフォニアム 誓いのフィナーレ」

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「こんなにしんどいこと続けて何の意味があるの?」


吹奏楽部に入部してきた新入生の久石奏が叫ぶ。
放課後、そして夏休み。持てる限りの全ての時間を練習に打ち込んでその先にあるものは、果たして何?

僕らは頑張ったぶん、それにかなう見返りを求めてしまう。
これだけ頑張ったんだから、これくらい褒めてほしい。もっと高く評価して欲しい。
はじめのうちはいい。頑張った分、確かに上手になるし、進化もめざましいだろう。
だけど長く続けるほどに、成長の傾きは緩やかになっていき、やがてゼロになったかのように感じられる。
周りには同じだけ頑張ったライバルが溢れていて、甲乙つけがたい僅差での鍔迫り合いに迫られる。ほんの髪の毛一本の差で勝敗が決まるような戦いですらある。前進を感じられない不毛のような日々が永遠のように思え、努力がまったくの無意味に感じられてしまう。

僕らは砂漠を歩き続けるようなそんな毎日を、意味が無い。と宣言することによって心の逃げ道を確保する。
でも、そう思い込もうとしても、いつの間にか夢中になり、ふと、もしかしたら壁の向こうへ行けるかもしれない、と甘い期待が浮かび上がってくる。
そんなこんなで、引き返せなくなる。突っ走るしかなくなる。
そして勝利が確信的であると自覚するほどまでに狂信的に没頭したその先に、敗北の奈落へとつきおとされる。その程度では、まだまだだ。という神の声を聞く。


「くやしくて死にそうよ」

 

久石奏の最後のセリフは、一人で戦っている者、組織で戦っている者、音楽にかかわらずあらゆるクリエイティビティのリングで戦う者、すべての人々の心に強く響く。
僕らは、死にそうなほどくやしい思いをしたことがあっただろうか。

高校生らしいあまずっぱさもあり、可愛いキャラクターたちでありながら、大人ですらひるむような厳しい戦いの世界が描かれている。

京都アニメーションがテレビで2期にわたり、更に劇場で2編にわたり展開してきたこの物語の深さを思い知った。

黄前ちゃんはついに部長になったけど、その先はどうなるのだろう(アニメ化するのだろうか)....。□