漫画家

「漫画家が来るぞ」

かつてアトリエの研究生に漫画家がいたという。
数年間アトリエに在籍していたが、結婚をきっかけに東京に引っ越して行ったらしい。
らしい。というのは、僕がアトリエに入門したときには、彼女は既にアトリエを去っていたので面識はなく、そんな人がかつていたという話を聞いていただけだったのである。
だが、その後、その漫画家が実家に帰省する際に、アトリエに遊びにくるという機会があって、アトリエメンバーら交えて飲みに行ったことがある。今から5年ほど前の事である。

僕もかつては漫画家に憧れていて、なんとか漫画家になれないものかな。なんて漠然と思っていた時期があるが、そんな漠然とした思いだけではなれるわけはない。
彼女に会って話してみると「ちょっと漫画がうまい人」なんてものじゃなくて、しっかりと収益を得ながら連載漫画を続けている「ほんとうの漫画家」だった。
「すごいですね」という僕の声は若干震えていたかもしれない。
実際に身近に、そんな存在がいると、ただどこか遠くの作家が描く作品を漠然と読むときにはなかった、尊敬やら羨望やら嫉妬やらがごちゃまぜになった複雑な気持ちを抱いたことを記憶している。

それから5年がたった今。
奇しくもまた漫画家と再会する機会があった。
毎年実家には戻って来てはいたそうだが、アトリエに顔を出す機会はなかなかとれず、結局気付けば5年という歳月が流れていたという。
漫画家としての活動はあいかわらず勢力的で、秋にはサイン会が実施されるとのことだったから、かなりの活躍ぶりであることがうかがえた。
ただ、必ずしもすべてが順風満帆というわけではないようだった。作家としての活動は充実しつつも、夫婦間、育児の問題などが深刻な状態でのしかかっていたようだった。
そこにいるのは「生きるために漫画という仕事をしている一人の人間」だった。
それは「生きるためにサラリーマンという仕事をしている一人の人間」となんら違いはなかったように感じた。
勿論、仕事を受けるお客様との距離や、仕事が一般人に見える範囲などの違いはあったかもしれないが。

かつての憧れや嫉妬のような気持は、もはやどこかに消えていた。
どんな仕事をしているかどうか、というより、それぞれが目の前にある仕事にどれだけ集中し、どれだけ楽しく過ごせているか。そこに関心をもっていたように思う。

いろいろなものを見て、考えて、迷って、直して、また迷って。
ずいぶん遠くまで来たような気持もあるが、まだどこにもたどりついていないのかもしれない。
ただ時間と共に辿りつきたい場所はみえてきたように思う。□