★ 面倒礼讚

 

ぼくらが「1」と見ているものは、

作り手が「100」の手間をかけて作っている。

 

逆に、

作り手は「100」の面倒をクリアして、

やっと皆から「1」として見てもらえる。

ということです。

 

なにかを作る。なにかを世の中に発信する。ということは、

とにかく「面倒くさい」。ということです。

だって、ちょっとした思いつきなんてものは、誰でも思い付くことだから、人を驚かせることなんてできませんよね。

だれもがやりたがらない面倒くさいことの先に、誰もができない、誰もを驚かせるものづくりがあるのだと思います。

 

絵を描くにしても、音楽を奏でるにしても、料理をするにしても。
誰に見せるでもない、誰に聞いてもらうでもない、誰に食べてもらうでもない。
そんな最初のころは、きっと楽しいかもしれない。自分一人が楽しければいいのならば、なにも責任がないからね。
だけど、それがやがて、人に見てもらいたい。人に聞いてもらいたい。人に食べてほしい。人を喜ばせたい!に変わるや否や、即「面倒くさい」になる。
そして、その面倒が重くなって、みんなやめてしまうのです。

 

ものづくりをしたい。というのならば、この「面倒」を受け入れて楽しむ「覚悟」と「センス」がないといけないと思います。
誰も見たことがないものだからこそ、面倒。
逆に、この面倒の先にこそ、皆を驚かせるものが待っている。

「面倒くさい」とぼやいて、退く人。

 

その先にあるチャンスを捨ててるんです。

 

勿体ないと思いませんか。

 

「面倒くさい」とぼやいて、その渦中に突っ込んでいこう。

 

「面倒」を楽しめる人間になろうぜ。□