ぼくらが「1」と見ているものは、
作り手が「100」の手間をかけて作っている。
逆に、
作り手は「100」の面倒をクリアして、
やっと皆から「1」として見てもらえる。
ということです。
なにかを作る。なにかを世の中に発信する。ということは、
とにかく「面倒くさい」。ということです。
だって、ちょっとした思いつきなんてものは、誰でも思い付くことだから、人を驚かせることなんてできませんよね。
だれもがやりたがらない面倒くさいことの先に、誰もができない、誰もを驚かせるものづくりがあるのだと思います。
絵を描くにしても、音楽を奏でるにしても、料理をするにしても。
誰に見せるでもない、誰に聞いてもらうでもない、誰に食べてもらうでもない。
そんな最初のころは、きっと楽しいかもしれない。自分一人が楽しければいいのならば、なにも責任がないからね。
だけど、それがやがて、人に見てもらいたい。人に聞いてもらいたい。人に食べてほしい。人を喜ばせたい!に変わるや否や、即「面倒くさい」になる。
そして、その面倒が重くなって、みんなやめてしまうのです。
ものづくりをしたい。というのならば、この「面倒」を受け入れて楽しむ「覚悟」と「センス」がないといけないと思います。
誰も見たことがないものだからこそ、面倒。
逆に、この面倒の先にこそ、皆を驚かせるものが待っている。
「面倒くさい」とぼやいて、退く人。
その先にあるチャンスを捨ててるんです。
勿体ないと思いませんか。
「面倒くさい」とぼやいて、その渦中に突っ込んでいこう。
「面倒」を楽しめる人間になろうぜ。□