「今、何やっているんですか」
そう問われたとき、一瞬言葉に詰まったりすることがある。
日々、忙しい、忙しいと叫んでいる割には、改めて問われてみると、即答できなかったりする。
あれでしょ、これでしょ、それでしょ.........。なんて、今自分を忙しいと、たらしめていたであろう事柄を列挙していってみても、どれもちっぽけで大した問題ではなかったような気がしてくる。
忙しいどころか、暇。ではないか。
自分は、一体、何がそんなに忙しかったのだろうか。
主観というのは、自分で自分を見て決めていることなので、他人から見てどんなに小さなことであっても、大きいと思えば大きいのである。
だが、それを社会一般の目、客観の目から見てみたら、どうでもいい些末なことであったりする。
誰かが忙しいとか、よく働くとか、個性的だとか。そんなことは、社会一般が決めることなのである。
自分がかかえていることは、多くは、大きな木の中の1つの枝ていどである。
それくらいに考えていた方がいい。
全体をじっくりと俯瞰して、いちばん大切なところ、大木の中の幹にあたるところを見つめたい。そこに携わり、自分からではなく他人から「忙しそうですね」と言われるようにありたい。
ひとまず、今の自分は絶対なる「暇人」である。□