ノスタルジー

 

軽井沢誘拐案内」の動画を見た。

 

1時間20分程度で最短クリアをしている。

今から振り返るとあっけないものだが、ぼくらがこのソフトが発売された当時、謎の渦中にいたことが重要なのである。

ルービックキューブも今となっては最短クリア時間が競技になっているが、発売された当時は誰もがとけずに、誰が最も早く解くかで日本全土を覆う大ブームとなっていたのだ。

 

当時、自分の周りには「軽井沢誘拐案内」をクリアした人間はいなかった。
そもそもこのゲームをプレイできるパソコンを持っている人間ですら限られていたのである。

さらに当時はネットなどなかったから、身近な仲間と数少ない情報を交換しながら解決に向かうしかなく、それでもわからないときは、月刊パソコン雑誌のわずか1,2ページの質問コーナーに問い合わせるしかなく、問い合わせても答えが返ってこない方が普通であった。今から思うと問題解決にも10倍以上の時間がかかったろうと思う。

さらにさらに、当時のゲームは今のような「大人も子供も楽しめる」ような消費者に目線を合わせるようなやさしい作りになどなっていない。
一部のコアなファンだけが根性をいれて楽しむのであり、ファンが作り手の気持ちに目線を合わさなくてはならないものが大半だった。

問題解決すらできずにお蔵入りしてしまったゲームも多々あったのである。

 

だが、それがよかった。

 

その「できなかった」というわだかまりが、脳の奥深くに皺として刻まれ化石のように残っていることが、郷愁をさそうのである。

今、すべての解答がわかり、われわれは神様のような目線ですべての謎を俯瞰することができるが、当時に本気で悩んでいた自分たちの愛おしさを、まるで迷路の中を走るハツカネズミを上から眺めるような、いつくしみの目でみつめるのである。
そんなものを、僕らは「ノスタルジー」と呼ぶのではないか。

 

追伸。「軽井沢誘拐案内」は堀井雄二ミステリー3部作のひとつであるが、誘拐犯人を共に捜すパートナーの女の子のパンチラシーンなど、ファミコンでは絶対に発売できないようなえっちな表現が含まれていて、それがまた背伸びを始めた中学生には強烈な刺激でもあったのである。□